アビガン Go To トラベルキャンペーン

友近・礼二の妄想トレイン
https://twitter.com/mousoutrain_BS4

で、新宿発河口湖行きの特急があることを知り、ぜひとも利用してみたいと思っていたところに、「びゅう」で富士急ハイランドフリーパス付が6000円代、さっそく購入し、家族3人で2020年の敬老の日に使わせていただきました。


横浜から富士回遊特急の始発駅・新宿へ、湘南新宿ラインで向かう途中、旅行気分で家族で楽しく会話していたら、

「電車に乗っているまわりの方が、静かにしていることがわからないのか?大きな声で話すんじゃない!」

と、自警団が登場!

まさかのキターッ!

もちろん、血の気の多い私は、最高のお祭り気分、電車の中でもケンカ上等なことを知っているかみさんは、楽しい旅行気分の幸先に水を差すできことが起こることを即座に察知して、戦々恐々、目でおとなしくしてと投げかけてくる。

気分悪いわ・・・。なんだこいつ!

その感覚を家族3人が共有していることを一瞬にして確認できたので、私に”いかにも正しい”を強要してくる神経質そうなお兄さんの忠告を聞き入れ、その場は大人しく、会話を控え静かにすることに合意した。

”しらけ鳥 飛んでゆく南の空へ みじめ みじめ”
(人生の教訓歌です。世の中は妄想ばかりですわ。)

しばらく大人しくしていたら、なんと、自警団のお兄さんが、またご丁寧に怖さ知らずに私の前にやってくる、

「笑っていただろう、なにがおかしいんだ!」

たしかに、無知な正義を押し付けてくるお兄さんに、憐れを感じ、笑ってごまかそうとしていたかもしれない。あほに話す言葉はない。聞き流し、さらに静かにすることにした。


しばらくして、西大井駅で5人家族が乗り込んできて、電車内で楽しそうに会話を始めた。

かみさんと目が合う。

自警団のお兄さんを確認すると、寝ているふりをして頭を下げ、ストレスを抱えているのがわかる。

案の定、自警団のお兄さんがとある駅で下車する前に、私たちと同様、楽しそうに会話している家族に忠告を始めた。

お母さんの困惑した様子を見かねて、自警団のお兄さんに
「あほもええ加減にしておけ、そういう無知な正義が戦争を生むんだよ。もっと勉強してから人に話しかけてこい!」

俺は間違っていない!、世の中はなぜにこんなに愚かなんだ!俺は正しいんだ!って自ら”うつ”になってしまうだろう思考回路を持つお兄さんは、下車駅で電車の扉が閉まるまで、私にかみついてきたが、最終的にはホームに降り去って行った。

世の中、思考の中で生まれた”正しさ”なんてものほどつまらないものはない。プロパガンダとは、自分の身体から感じる是非の判断を許容せず、だれかの頭でひねくりだされた、あやふやな正義を身体に強要させようとする。強要されれば当然にストレスがかかり、体調が崩れ、身体と心のバランスを崩し精神を不安定にさせる。
身体から発せられる心地よさと向き合うことを忘れたものに、自分の免疫力をみつめることもできやしないだろう。当然、現実には起こっていない事象であっても、目に見えないだれかが言っている確証の持てない感染症にさえも過剰反応してしまう。悪いのは感染症ウイルスで自分ではない。

しらけ鳥、飛んではいないでしょうか?

(ちなみに、人は様々な細菌やウイルスと付き合いながら恒常性を維持しています。頭はそんなことまで知らないですが・・・・)


イヤーな気分で旅が始まり、一日がはじまりました。

でもすぐに気分は変化してゆきます。
新宿から乗り込んだ富士回遊のE353系電車は、大都会を横切る中央線を静かに快適に走り、大月から富士急沿線の山間の田園地帯を、場違いなほど華麗に優雅に気品高く走り抜けてゆく。明るい車内に響く若い人たちのくったくのない笑い声をBGMに、車窓タクの私はそれだけで満足度が高まります。

しかし、行先の富士急ハイランドは超過密状態。びゅうで手に入れたバウチャー(交換券)をフリーパスチケットに交換し入園するまでに1時間半、入園したらしたらで、ええじゃないかの待ち時間220分、ハンバーガー買うのに1時間、何をするにせよ行列・行列・行列。富士山も雲に隠れ、かなり残念な状況。
フジヤマに乗りたいと期待を膨らませていた娘でしたが、混雑状況を判断し、かわいいアトラクションを4回ほど乗っただけで満足している姿を見て、親バカながら成長を頼もしく感じることができました。
どんな状況でも折り合いをつけ、家族が笑顔でいられることと、きれいな空気を吸う、十分に喜びを共有できるハイランドでした。

帰りの電車の中、稲刈りをしている地元の農家の方が、電車に向かって手を振ってくれる。娘も一生懸命手を振っている。

来てくれてありがとう、またきてね!

コロナ過で、経済活動も滞ってしまったからこそ、なおさらなんだろうか。人と人が手を振りあうことで繋がる。
健康とはそういうことなんだろうなと思いながら、娘の笑顔を眺めていました。

コメ一粒は1年で300粒。この生産性で私たちは支えられている。この時代にコメ本位制を江戸時代張りに真剣に考える私は異端児ですが、金本位や石油本位の貨幣制度より、より確かなのではないのか。田んぼに黄金色の穂をおとす稲を見るのも、この季節の電車旅の楽しみです。

新宿に到着。せっかくの新宿なので、ちょっと贅沢しようということで、新宿中村屋さんでカレーをご賞味させていただくことにしました。

襟を正して食事をする。

百貨店がそういう存在だったのですが、なかなか庶民にとってそんな食事は遠ざかってしまった。子供には、ぜひともそういう食体験をさせてやりたい。そういう要望にしっかりと応えてくれるのが中村屋さんです。

名古屋のあつた蓬莱軒で、うなぎと奈良漬け(守口漬け)の付け合わせが絶妙であることを知り、それ以来、付け合わせにこだわりがあるかどうかを、名店の判断基準のひとつにしております。中村屋さんは、付け合わせのオンパレード、料理への探求、追及が長い歴史の中で醸造されているのがよくわかります。その中で、ニシンの酢漬けがありました。カレーに酸味が合うことはわかるのですが、どうして魚の酢漬けなのか(昔はマスタード漬けだったそうですが・・・)、店員さんに聞いてみたのですが、名答はいただけなかった。まあ、それはご愛嬌として、料理の味だけでなく、お店全体が醸し出す風格が一品です。質の高いものと出会える喜び、襟を正したくなるものとはそういうことなんですね。ステキな時間をありがとうございました。

終わってみればとても楽しい一日、これからもそんな時間とたくさん巡り合えますように願うばかりです。
日常から少し離れることは、
知らない世界と触れ合うことができ、
自分の幅を広げることができるとてもいい機会です。
そんな素敵な時間が、抑圧でもって社会的に拘束されないように、いい加減コロナ騒ぎの終息を期待するばかりです。
(富士急ハイランドでは完全にコロナは終息していました。それが世の実体なんでしょう。嘘で固めた倫理観は長続きしない。庶民の賢さとは、頭で面倒くさいことを強要しないことだとつくづく思うところです。)


そんな折、アビガンの承認申請を控え、メディアの論調も変わってきました。
あれだけ、懐疑的およびガン無視していた共同通信の記事です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0bbef463eb29f8113ebd270bcdb918a1d3898a0e

ご都合主義で、過去の報道の責任など顧みないメディアにはつくづく呆れてしまうのですが、あるべき姿に向かってゆく状況をみて一安心しています。
(ただし、アビガンを風邪薬のように処方していただくことが私の本来の希望です・・・、まあ、今の日本ではまだまだ無理なんでしょう。あきらめるところは諦めるか。でもね、アビガンを個人輸入することがでるようになったので、家の常備薬として備えておくことはできるようになりました。個人的にはそれで十分なんですが、そういう自分だけよければっていう発想は受け入れがたいので、まだまだ駄文を書き続けていきます。)

自警団のお兄さんのように、いまだにコロナに対して過剰に反応し、人々に不安ばかりをあおり、人々のささやかな幸せにケチつける人々が意気揚々とコロナを語っちゃってくれてますが、新型コロナの定義すらあいまいではっきりしない、PCR検査の陽性の意味も分かっていない、コロナでこじらせ死亡する方は例年の感染症と比較して10/300程度、出勤時には満員電車に乗り込む日常でも、身体はいたって平常という自己体験を前にして、脳にだけに叩き込んでくるコロナ騒ぎがいかに”デマ”であるか

そう、コロナ騒ぎこそが”デマゴギー”であって、デマゴギーをメディアを使ってどこまで人々に浸透できるかの社会的実験であったのではないかと思ってしまいます。

デマゴギー
政治的な意図をもって流す情報。
根拠のない噂。流言。デマ。


結果、SNSの表現の自由度をコントロールする必要があるってのが、統治者のはっきりとしたテーマとして再確認されたのでしょうね。ユーチューブの悪意を感じるくだらない規制強化や電通出身者でデジタル省を設立する羽目になってしまう。

食べ物が自分の身体を構成するように、情報が自分の考え方、価値形成を生み出すものです。どんな情報と接するのか、食べ物と同じように日々、質の高い情報に接することが大切で、その質を見極められる教養こそが明日の自分へと導いてくれる。

あたりまえのような風景も、例えば、人々が街(新宿)にあふれている様子や、中村屋はほぼ満席であることを知ることも質の高い情報を得ることです。
ステイホームなんてつまらないたわごとにつきあっていないで、外に出て、太陽を浴び、身体を通し実体験として感じる現実と向き合いましょう。

家に閉じこもって、偏りがある情報に強要され、頭でっかちになることが、不幸のはじまりです。


都心からやってくる私たちに
見知らぬ農家の方が手を振ってくださる姿が、明日への希望となりました。
やさしさをいただき、ありがとうございました!

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