藤本萌々子
短編小説、散文、詩のようなもの。
詩や歌詞、散文詩など、日々のメモ書きより
短編集(2017-)
UN JARDIN SUR LE TOIT (2015)
夜も23時をまわると、東京中の宴の参加者は二種類に分かれる。 時計を気にし始める者たちと、時計など見ない者たち。 金曜の夜に時を忘れていられるのは独身者だけに許された特権だ。 酔いつぶれることも、二軒目のバーから友人の部屋に雪崩れ込んで飲み直すことも、そして土曜日の朝には脱ぎ散らかした昨夜の服もそのままに、横で寝ている恋人の脇腹をくすぐって再び激しく抱き合うこともできる。それが在りし日々にだけ許された行いであったと、多くの人は後になって痛いほど思い知る。 家庭を持つ人々はこ
その場所の名は「果てのない美術館」といった。 天井の高い回廊は霞むほどに遠く彼方へと続き、その終わりが見えない。 冷たい階段は遥か見上げる先へと高く昇って霞み、深く昏い地の底へ降りて消える。 宮殿の荘厳な層は幾重にも折り重なり、歩けども歩けども絵画や彫刻の数は尽きることが無かった。 柱は磨かれた大理石の床に揺らめく蝋燭の影を落とした。 延びる回廊にも窓から見下ろす中庭にも、どこにも人影は無かった。 私は立ち止まり、とある絵を見上げた。 闇夜の海面を、流木にしがみつき流さ
むかしむかしあるところに、醜い娘がいました。 姿形も心の中も醜い娘でした。 娘はその醜さゆえに誰からも疎まれました。 娘は醜いものすべてを憎んでおりました。 自分の醜いさまをも憎んでおりました。 娘は美しいものを集め、美しさの中で暮らしておりました。 美しいものをとても愛していたのですが、どんなに美しさを集めても、ただ自分だけはひどく醜いままでした。 醜い自分を愛したい。 娘は美しさを憎み、醜いものを愛そうとしました。 しかし美しいものを憎むことは、娘には辛く苦しいことで
私は静かな砂浜に打ち上げられていました。 長い夢から覚めたような気分でした。 よろめきながら立ち上がりあたりを見回すと、そこは静かな海辺でした。 白く輝く浜が遠くまで伸びて、人影は無く風は凪ぎ、穏やかに波が寄せています。陽射しは眩しく、さりとて灼けつくほどでもなく。 椰子の木が濃い木陰を投げるその根本には、落ちた実が2つ3つ転がっていました。 足元に目をやると珊瑚のかけらや乳白色の貝がらが幾つか。細かな砂は心地よい太陽の熱を帯びており、私はその砂を裸足の足で踏みしめ空を仰
彼女は僕の好きではない音楽を聴くし、僕の趣味ではない服を着ます。 僕の口に合わないものを食べ、僕の興味のない本を読みます。 僕の話を上の空で聞き、挙げ句の果てには僕の嫌いな類の、あのいけ好かない連中と遊んでくると言っては楽しそうに街に繰り出しさえするのです。 あれほどに可愛らしく美しく、手足は天鵞絨のようになだらかで柔らかく、太陽のように笑い小鳥のような声でさえずる、僕の愛しいひとなのに。 嗚呼、彼女ときたら、彼女ときたら! 僕が嘆くのを聞いた気のいい博士は、気の毒なこの若
休日の午前も九時になってから父が「青山に朝飯を食いに来ないか」とメッセージをよこしたので、私は着替えて身支度をする羽目になった。 「もう朝ご飯の時間じゃなくなってしまうけど行きます」と返信をして、私は穴の空いたジーンズと褪せたTシャツを脱ぎ、仕立ての良い麻のワンピースに着替えた。 ゆるくまとめただけの寝呆け髪をほどいて丁寧に櫛で梳かし、軽くお化粧をする。ラフィアの帽子を被り、母の形見の真珠のイヤリングをする。 表に出るともうアスファルトからは八月の熱気がのぼりはじめていた。
久しぶりね。 元気だった? そのほくろも髪型もそのままね。 私のほくろと髪型もそのまま。 懐かしいその笑い皺。 私たち、少し歳をとった。 あれからいろいろあったでしょう。 私が言った通りだったでしょう。 辛い思いもしただろうと分かるの。 一人で苦しかったでしょう。 あなたは少し変わったみたい。 前よりもずっと大人びて、穏やかに見える。 私は、何も諦めたりはしなかった。 相変わらず一生懸命生きているの。 泣いたり笑ったりしながら。 こうしてまた会えて嬉しい。 あなた
終わらせるために旅をしている 遠く故郷をあとにして 生まれた街にとどまれば 僕らは年をとらず 決して死ぬこともない 別れは訪れず 変わりゆく悲しみも無い 永遠に同じ太陽が 昇り 沈み たまに雨が少し降るだけ 平坦な人生 どこまでも平坦な 歩くことを選ぼうか 一日も休まずに できるだけ遠くへと 生まれた土地から 遥か 巡り会う人々と離れ 歩みを緩めずに 泥だらけに這い、滑落し、また登り 手と足を傷だらけにして探す 新たな地を 物事が変わり 別れがあり いずれ僕らが年を重
ある朝、目をさますとベランダにUFOが来ていた。 UFOから降りてきた宇宙人が言うには、私も宇宙人なのだそうだ。 その昔いろいろと事情があってこの地球に降り立った私は、うまく地球人のふりをして育ち地球の社会に紛れ生きてきたらしい。 「らしい」というのは、私自身はさっぱりそのことを覚えていないからだ。 自分のことは地球人だと思ってきたのだけれど、それでもとにかくその宇宙人によると、実のところ私は、余所の星から来た身だと言うのだ。 「ひと違いではないでしょうか」 と、私はしつ