ライカの赤いエンブレム
ライカの赤いエンブレムが初登場したのはM4-Pだったと思う。当時の、いや現在でも自分には無縁の機材と思ったが、あまりのカッコ悪さにうんざりしたのは間違いないですよ。それは他の人々も同様だったらしく、当時のカメラ雑誌にはエンブレムがないモデルを探したり、エンブレムをマジックで塗りつぶしたりといったエピソードがちらほら掲載されていました。
おまけに、ボディだけじゃなくてビゾフレックスにも赤いエンブレムがついちゃって、ホンマになんとも言えないしょんぼり感でした。
なにしろ1980年代は中西監督から安藤監督時代の阪神とごっつごっつのライカ暗黒時代で、とにかく使い物にならない、少なくともプロカメラマンには無縁の、お作家様カメラ、せいぜいストリート・フォトグラファー御用達のカメラでしかなかったんですよ。
連射は効かない、ミノルタと提携してR-4を出してはみたものの、露出制御のカムでニコンもびっくりの大混乱、もちろんレンジファインダー機は望遠レンズがろくに使えない、どの機種でもストロボ同調が渋い、レンジファインダーだとマクロも使えないから商品撮影もできない、ティルトシフトレンズも微妙なのが1本だから、ちょっとばっかり広角レンズの描写がよくても建築写真に使えない、グラビアだとパララックスが気になる、自動露出も効かない、どの機種でも湿気に弱い、レンジファインダーも一眼レフも故障多発……とまぁ、ないないづくしのところへ阪神が優勝した1985年にミノルタα7000が登場し、オートフォーカスで完全に置いてけぼりを食って、そのままミノルタに吸収されちゃいかねないほどの低迷ぶりだったんですよ。
もし、ライカのカメラ部門がミノルタに吸収され、その流れでブランドがソニーに使われていたら、かなり面白かったと思うのですけどね。
ともあれ、そんなだめライカの象徴となったのが、あの赤いエンブレムなんですよ。盛りを過ぎたプロレスラーが、派手で人目を引くようなパフォーマンスだけ熱心にやって、実際の試合運びはグダグダでみてられないような、そんなやけっぱちの派手さ、見た目だけでも人目を引こうというさもしさが、あの赤いエンブレムにありました。
まさに黒歴史、好印象なんかどこにもないですよ。
ところがどっこい、ライカがエルメスに買われて高級路線、つまり高級時計や万年筆みたいにセレブご用達のラグジュアリーアイテムになったあたりから、風向きが完全にかわっちゃうんですね。
さっきグダグダ書いた、仕事の道具としては使い物にならない要素が、じっくり丁寧に撮影する贅沢さとかなんとか、丸ごと全部セレブの上質な時間を演出するチャームポイントになり、イキりカメラマンに塗りつぶされてた赤いエンブレムまで、ブランドアイコンとして誇らしげにクローズアップされるのですよ。
まぁ、スマホで測る時間も超高級時計で測る時間も同じ、また百均のボールペンで書く文字も、超高級万年筆で書く文字も同じって人間と、そこに決定的な違いを見出す人間とがいて、ライカは後者の人々、つまり富裕層のためのカメラへ大変身しちゃったんですね。
最近じゃ、あの赤いエンブレムがピンバッジとかワッペンとかグッズになっちゃってるし、世の中ってほんとわからない。
ただ、ライカの手作り職人紹介みたいなところで、ボディにピンセットで赤いエンブレムを手貼りする作業者が紹介されてて、どうみても刺身の盛り合わせにタンポポを乗っける日雇い労働者っぽかったのと、海外の口の悪いカメをたが赤いエンブレムをサウロンの目と称してたのは(正式な愛称はレッドドットだってさ)、心温まる大好きなエピソードです。
え、お前はアンチライカかって?
まぁ、いちおうたしなみ程度に5台ほど持ってますよ。
ぜんぶフィルム機ですけどね。
レンズもそれなりにあります。
あぁ、もちろんあの赤いエンブレムはついてません。
でも、ただでくれるならエンブレム付きのボディでもウェルカムですよ。
下取りに出してエンブレム無しのを買うから。
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