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ハッピーミールと、いらない子

 サーバ上の動画データをテスト再生して、コメント内容や通知オプションなども確認すると、おもむろに更新ボタンをクリックする。まだ、お客様が動画を正常に再生できたかどうかの確認が残っているものの、ともあれいったんは俺の手を離れた。お客が規定時間以内にアクセスして、動画を再生してくれればそれで良いのだが、プレイヤの不具合が発生したり、規定時間以内にアクセスしなかったりで、フォローせねばならないこともしばしばある。


 いずれにしても、これから昼まで店じまい。気が付くとすっかり日が昇っていた。まずは、仕事部屋のマシンを落として机の上を片付け、朝飯を食うなり朝寝するなりしたいところだ。ただ、まだ飯を食うには早すぎるし、寝るにはいささか遅いだろう。中途半端な時間と気持ちを持て余しつつ、なんとなく携帯端末をいじくり回していると、グループチャットアプリのアラートが点灯していたことに気がつく。
 以前からちょこちょこやりとりしていた娘が、独り言をブツブツ投稿していた。どうやら、ターミナル駅周辺のファーストフード店でヒマしているらしい。まぁ、夜明け直後の時間は人がいないから、退屈なんだろうな。とはいえ既に始発は出てるのに、帰宅しないのはなにかがあったのか、そこはいささか気になった。
 ただ、気になると言っても良し悪しで、このシチュエーションはわかりやすく出会いのチャンスだ。ハヤる気持ちを抑えつつ、まずは『おはよう~』と挨拶を飛ばし、机の上をざっくり片付けて1階上の住まいへ戻る。
 ここで自室のパソコンを起動し、メッセンジャでのやり取りへ切り替えようか、それとも携帯でやりとりし続けようか、そんなことを考えつつ娘のリプへ返信する。ところが、娘の返信ペースは思ったより早く、こちらのリプが追いつかない。どうもしっかり会話したがってるように思えたので、思い切って『通話する?』と送った。さほど親しくも無い娘を相手にリスクを取るのは考えものだが、歳のせいかタッチパネル式の入力に馴染めないし、半ばやけくそである。
 そんなわけで、娘から『じゃ、かける』とリプが来た時は、かなりホッとした。
 とりあえず、娘との話から昨夜は知り合った男の部屋に泊まったこと、いささかショックなことがあり、慌てて部屋から出てきたこと、まだ親が寝てる時間なので帰宅できないことなど、おおまかな事情を理解する。
 娘の声を聞くのは、これがはじめてだった。端末越しだと低めのハスキーな声に感じるが、相手は徹夜明けだし店の中だし、ほんとうのところはわからない。精いっぱい元気に振舞っているようだが、会話の切れ目に漂うかすかな疲労感が、どうも強がりに思えてしまう。やはり、単なる痴話げんか以上の、かなりよろしくないことがあったようだ。
 こちらはもっぱら聞き役に徹しつつ、受け答えは穏やかに優しく、しかし決して猫なで声にならないよう気をつけて会話を引っ張る。
 通話開始から十数分したあたりで、娘が『もう少し、ゆっくりお話したいかな?』と、独り言のように小さくつぶやいた瞬間、俺も小さくガッツポーズしていた。ここで部屋まで呼んでしまえばこっちのものだが、ターミナル駅からは距離がある。もし、途中で「正気」になってしまったら、元も子もない。落ち着いて、まずは娘のいるファーストフード店で合流し、そこでの展開に賭けるしかない。もちろん、俺が着くまでに娘の気が変わってしまえばそれまでだが、それも含めて冒険の値打ちはある。
 静かにゆっくり、区切るように『そっちでお話する?』ともちかけると、やや時間をおいて、娘から『いいよ、場所わかる?』との返答。場所はわかるので、娘の大まかな服装や背格好を教わると、カーゴパンツを履いて財布と端末、部屋の鍵だけをもち、自転車へ飛び乗った。ファーストフード店の場所は把握していたので、ターミナル駅付近の有料駐輪場へ向かう。出勤時間にはまだ早いせいか、運良く空きが見つかった。小走りで娘の待つ店へ向かい、フロアの階段を登りながら呼吸を整える。

 店内をさらっと見渡すと、いた!

 教わった通りの背格好で、ぼんやり端末をいじっている。ちょっと大げさに手を振ったら、娘もこちらへ気がついたようだ。目が合うと、気恥ずかしそうに軽くうつむいてしまう。先に注文しようかとも思ったが、まずは娘の席へ行って軽く挨拶する。動画でさえみたことがない、全くの初対面は実に久々なので、ガラにもなく自分まで緊張してしまう。
 娘は、通話で「席に埋もれてるかもしれない」と言っていたとおり、確かに小柄でふっくらした感じだが、丸い頭にアンダーリムのメガネがキュートで、シースルージャケット越しのフェミニンだけどゆるくふわっとしたチューブトップ、そしてちらちら見える胸の谷間が俺の目を釘付けにする。娘の『はじめまして』と答える声は、端末越しに聞いた時よりはるかに澄んで高く、若さと可愛らしさをしっかりまとっていた。
 娘の前には蓋をとった紙コップがひとつきり。他に何か注文した気配はなく、コーヒーの乾き具合が時間の経過をはっきりと語っていた。娘の隣に立ったまま、そして目は谷間に吸い寄せられたまま『俺は朝メニュー頼むけど、ついでになにか注文する?』と聞いたら、なにかもじもじしている。彼女に顔を寄せ、声を落として『大丈夫、俺が出しとく』と言ったら、少し間を置いて『アイファイのハッピーミール、ゼロフリーのサイズアップ』と、妙に細かく指定してきた。
 いちおう、アイファイがウルトラアイドルファイトの略で、アーケードのカードバトルゲームから地上波の5分番組になっていることまでは把握していたが、ファーストフードのおもちゃセットにもなってるとは思わなかった。注文して会計を済ませると、スタッフが妙に大きな箱を用意し、中へバーガーとポテトとカードとおもちゃを入れ、うやうやしくトレーに置いた。俺もセットメニューを注文したからトレーはふたつ、往復しなければならないかと思っていたら、娘が俺の後ろに立っていた。
「あれ、席で待ってても大丈夫だよ」
「でも、あの箱は私のでしょう? なんか、考えてたのと違う……」
「ほんと? ちょっと確認する」
 慌ててレシートを確認すると、やはり【アイファイのハッピーミール、ゼロフリーのサイズアップ】で間違いない。そうこうしている間に注文は全て揃ってしまったので、とりあえず席へ持ち帰って確認しようと娘をうながした。
 ちょっと大げさなボックスを開くと中にはハンバーガーにボテト、お目当てのアイファイカード、セット内容のしおり、その下にはなんだかよくわからない、ドラム缶のようなプラスチックおもちゃが入っている。娘にアイファイのおもちゃかとたずねるたら、作品にそんなキャラは登場しないという。入れ間違いかと思いつつ、念のためしおりを確認すると、隅に小さく【過去にセット化されたものから厳選された、人気おもちゃが入っています】と書かれていた。
 娘にしおりを見せるとやり切れなさそうに目を伏せ、小声だがはっきり『この子、いらない』と、ドラム缶に車輪がついたようなおもちゃをテーブルの端へ押しやった。
 戸惑いながらハンバーガを食べ始めた娘をみつつ、アイファイは大人気だし、権利関係なども絡んでオリジナルおもちゃが用意できないのは仕方ないにしても、在庫処分のだしに使うのはちょっとどうかと、いらない子はここでもいらない子かと、そんなことも思って気持ちが萎える。とはいえ、ここで俺までしょげてしまったら完全にアウトだ。悪い流れを断ち切る札は、やっぱアイファイカードだろう。
「なにが入っていたのかな? カード?」
「油ついちゃうじゃん! カードはポテト食べてから」

 事も無げにかわされてしまう。

 気持ちを立て直す。無理はしない。とはいえ、さほどやり取りのなかった相手だけに、こちらも札が尽きている。アイファイはプレイしてないし、アニメもコミックも観ていないが、ここは四の五の言ってられない……アイファイへ流れを寄せる。ダメ元で『むかしは、ミリしらシリーズってのがあってさ』と、少し遠いところから始めたら、即「知ってる! アイファイもあるよ』と食いついた。
 そこからは早い。なんだかんだ言っても、ヲタはそういうところが気楽だ。仕事柄、動画配信サイトの流行は日常的にチェックしてるし、ボカロ曲もおさえているので、マッド動画方面へ持ち込めれば、なんとか戦えないこともなかろう。ただ、ヲタ方向にシフトってことは、やれないってことでもある。少なくとも、今日のところは。
 娘の話に耳を傾けつつ、ハンバーガーとナゲットを食べる。どちらも食べるのはけっこう久しぶりで、もしかしたらこのチェーン店が経営再建の際に外資の完全子会社化して以来かもしれない。そして、何年かぶりのハンバーガーとナゲットは、ちょっと驚くほど味が変わっているような、そんな気がしてならなかった。
 ナゲットは全てが同じ大きさの小判状へ整形され、なんだか揚げつくねのような感じだが、中には大きめの粗びき肉がゴロゴロ入っていて、食感はメンチカツに近い。ソースはバジルチーズ味を選んだが、これが大正解。ガーリックチップのつぶつぶ感も心地よく、単体でも舐めたくなるほどだ。後でポテトにつけたら、予想通りのうまさだった。なんとか、自作できないかと思案してしまう。
 ハンバーガーもかつてのパサパサ感が薄くなっており、バンズがしっとりしていたことに驚かされる。ビーフパティのぱさついた感じは相変わらずだったが、それがなかったら同じチェーンとは思えなかったろう。昔はもっとひどいシロモノだったような、そんな気がしてならないのだが、もしかしたら逆思い出補正ってやつかもしれない。
 そんなこんなで、娘が途中で飽きてしまったポテトにバジルチーズソースをなすって片付けると、ナゲットソースがついたトレーやペーパーを返却し、いよいよカードの開封にとりかかる。まず、娘は油取り紙で丁寧に手の油をぬぐい、紙ナプキンを折った角で爪の間に入った塩粒を取り除くと、ようやく開封の儀となるのだが、まさかハサミを持ち出すとは思わなかった。そうか、この娘も道具持ち歩く系のヲタだったのだなと、変わらぬ伝統の厚みと蓄積に感心する。
 丁寧に端を切ったパッケからカードを取り出した瞬間、娘はスーパーヒーローのガールフレンドを捕まえた悪党のような笑みを浮かべる。そして、手術台に横たわったセクシー美女をまさぐる狂気の医者めいた隠微な手つきでカードの表面を端末でスキャンし、おもむろにパッケへ戻すと手帳のページに挟んだ。
「良いカード?」
「うん、あたり。おじさん風に言うと、推しメン北!」
「なんでカードなでたの?」
「イリュージョンコードを確かめたの。ホロシールってテンション上がるじゃない? スマホあるから3D再生できるけど、観る?」
 おじさん風とはいえ、まだ【推しメン】という言葉が生き延びていたことに軽く衝撃を受けつつ、娘が手際よく再生する3Dホログラムを眺める。てっきり二頭身キャラがちょこちょこ動くだけだろうと思っていたら、アニメ頭身で歌い始めたからまた驚いた。ただ、店内に曲が流れ始めたのは娘も驚いたらしく、慌てて停止したのはちょっと可愛い。
 娘の説明によると、端末内の楽曲データと連動再生するそうで、今は「たまたま」同期楽曲がリストにあったから曲も始まったらしい。おおかたアイファイの曲は全部リストにあるだろうと思ったが、さすがにそういう大人げないツッコミはやめておく。とはいえ、このまま守備範囲外のネタ、それもアイファイ話に終始したらお人好しもいいところだ。そろそろ話題を切り替え、どうせ持ち帰りもつれ込みもできないにせよ、せめて次回以降へ繋ぐか諦めるかの判断材料ぐらいは得ておきたい。

 なにか、うまい言い回しはないものか?
 娘にしっかり伝わり、それでいてストレートすぎない、そういう言葉は?
 そして、そういう言葉が生きるタイミングはつかめないものか?

 結局、話が途切れた頃合いに、昨夜の出来事を聞くぐらいしか思いつかなかった。
「終電逃したの?」
「ううん、お友達の家に泊まったんだけど、やっぱいい人がいたのね。彼……」
「ありゃ~それは残念だったね。なんか、気配でもあったの?」
「気配っていうか、もともと遊びまくってる人だから、そういうもんだと思って泊まったんだけどね」
 娘の【遊び人とわかっていて泊まった】に、俺はテーブルの下で小さく拳を握った。これは、もしかしたら、イケる!
 娘の話に曖昧な相槌を重ねつつ、先を促す。
「エッチして、友達とお風呂入って、でも寝なかったのね。友達はネットでゲームとか始めちゃったから、しばらくみてたの」
「でも、やっぱ眠くなっちゃって、友達のベッドで寝さしてもらったんだけど、話し声で起きちゃった。友達がネットで話してて、相手は女だって、すぐにわかっちゃったんだけど、ものすごく楽しそうで、声が大きいからなんとなく聞こえちゃったの。私とは絶対しないテレビとかレストランとかお酒の話で、友達が楽しいのはそういう話できる人なのかなぁって、私はいらない娘なのかなぁって、そんなこと思ったら、もうそこにはいられなくなっちゃったのね……」
 つまるところ、いたたまれなくなった娘はこっそり着替えて部屋を出たものの、帰るに帰れず暇をつぶしていたと、そこに俺が食いついたと、そういう成り行きらしい。はじめに思っていたような深い理由はどこにもなく、むしろはるかに単純な痴話げんか、いやそれ以前のちょっとした行き違いなのだけど、娘のいたたまれない気持ちはわからなくもない。とはいえ、ここまで強い疎外感を覚えるのは、やはりある程度以上の【感情】を娘が友達に抱いていたからだろう。
「お友達のこと、気になる?」
「ううん、いまはもういいやって感じ。お泊りしたのも、なんかすごく誘われたから、そんなに言ってくれるなら、もしかして私を気にしててくれてたのかなって、そんなことも思っちゃったけど、やっぱ違ったっぽい」
 シンプルで可愛らしい色恋沙汰とはいえ、娘には『しんどかったね』ぐらいしかかける言葉も無い。ただ、娘も吐き出したい気持ちをあらかた出してしまったのだろう、話している間に表情から固さが取れ、最後の方はちょっと眠くなっているようだった。
「眠い?」
「うん、眠くなってきちゃった。電車乗り過ごしそう。それに……」
「それに?」
「ちょっと甘えたい気分かも」
「すこし、どっかで休んでく?」
 眠そうに閉じかかっていた娘のまぶたは跳ね上がり、眼鏡越しにも瞳孔が大きく開いたのが見て取れた。俺はどれだけひどい失敗をしてしまったのか、言い終わる前にわかってしまったが、それでも最後まで発音した。はっきりと、娘の開いた瞳を見ながら、よどみなく。
「さっきまで、別の男とエッチしてたんだよ? それでもいいの?」
 娘の冷めた眼差しを意識していなかったら、間違いなく【別に構わないよ】って口に出してしまっただろう。しかし、その決定的な一言を飲み込めたのは、娘の拒絶が優しさにもとづいていたためか、あるいは単なる偶然か、いまとなってはわからない。
 ともあれ『そ、そうだったね』と慌てる俺をおいて、娘はさっさと荷物をまとめ、それでも礼儀正しく『ごちそうさま、ありがとう』と言い置いて、店を出て行った。テーブルの上には、ドラム缶のようなプラスティックおもちゃが残されていた。

 部屋に持ち帰ったおもちゃを眺めながら、俺もお前もあの娘も、みんな互いに【いらない子】だったなと、そんなことを思う。なんの気なしにおもちゃを引っ張ったら、キュンと音を立てて走りだした。プルバック走行するんだ。戻らないと前に進めないって、なんだか意味深だなと思いつつ、再び引っ張って、離す。
 おもちゃは勢い良く走って、机の端から転げ落ちた。

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