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彼女とあの娘と女友達(あいつ)と俺とシリーズ

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男女の奇妙で複雑な性愛と、料理や食事を絡めた連作短編です。
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#写真

国際通りであいましょう

あらすじ 薄ぼんやりした日々をダラダラと過ごす『俺』は、ネットサービスに投稿していた画像をきっかけに、シングルマザーのインフルエンサーとつながりを持つ。彼女は【民族も父親もわからない子供を生みたい】と決意し、自然妊娠で実現したという、かなり印象的な経緯で母親になっていた。そんな彼女から、親子の写真を撮るよう依頼を受け、俺は少し戸惑いながらも撮影に出かけるのだった。 あらすじおわり  改装工事とやらで、駅はすっかり変貌していた。配管や梁もあらわな天井に、壁という壁を覆い隠

言葉が通じない怪獣を撮影してもすべて不同意

 雨は降らなかったが、きょうも朝から重たい雲が低く立ち込め、梅雨明けはまだ先のようだった。  ゆっくりと、だが確かに明るさが失われゆく街頭の片隅で、それでも彼女のスマホはギラギラと、粘るように輝いていた。やたらに小さく体に張り付いた怪獣コラボカットソーに、大きなお尻をぴっちり包んだリブ編みのショートパンツは、やけに肌を露出してる割に、セクシーと言うよりは危なっかしさを漂わせてる。  その危うさを活かすよう腰だめノーファインダで構図を合わせながら、すれ違いざまにシャッタを切る。

¥300

ジャンクなアートは身も心もむしばむけど、ジャンクな味わいは心の栄養

 赤と緑と金と銀のオーナメントがきらめくツリーの下では、にこやかに笑みを振りまくサンタとトナカイを乗せた模型の列車がのんびり走る。展示台の片隅には折り畳み傘より小さな三脚に据え付けられた、これまた小さなカメラと、撮影画像を表示するやたら大きなモニタが、きゅうくつそうに押し込められていた。年末商戦の目玉は各社とも動画機能を売りにした小型カメラだったから、売り場でもいちばんいいところでにぎにぎしく展示されていたのだが、カウンターの奥に「写真機商」の証書を掲げているような写真カメラ

¥300

1979年の渡し船 Ferry del año 1979

 年末も押し詰まって金融機関の営業日を確認すると、せわしない気分を超えた諦めが漂い始めた。あれほど騒がしかったクリスマスさえ、すっかり正月が上書きしている。さっき銀行の窓口が閉まったばかりだと思っていたのに、外をみるとすっかり暗くなっていた。暖房の設定を少し強めながら、夕食の算段を組み立てる。  ソーシャルメディアにさみしい心を抱えた娘たちが現れるまで、まだしばらく余裕がある。いや、しばらくなんてもんじゃないな。料理して食事して風呂に入って、それからでも少し早いくらいか?  

¥100

残り物の赤インゲン豆スープとひき肉の援助風ワンプレート

 スクリーンが暗くなると、ほどなくホールの明かりが灯った。  胃の腑から喉元まで湧き上がる戸惑いや苛立ち、しびれる酸っぱさを含んだ苦味を気取られないよう、抑えがたい己の昂ぶりを無理やりねじ伏せつつ目線だけを横へ向け、やはり居心地悪気な人影に声をかける。 「懇親会、どうします?」  その人影、おととしの夏にトークライブで知り合ったショートカットのちょっと猫っぽい娘は(マガジン「カマキリの祈りよ、竈神へ届け!」の「平らな顔の冷凍ピラフ」に掲載)そっと俺へ顔を寄せ「ぶっちして帰るけ

¥100