空の色


俺は学生の頃、よく授業中に外を眺めていた。

なぜかいつも席替えをしても必ず窓側の席だった。

くじ引きなのにまるで仕組まれたかのようだった。

あの頃の空は今と同じように青かった。


空の色は変わらない。

昔の写真で空の色が灰色だったりする。

それはきっと、文明がまだ進んでなくて記録として残る写真には本物の空の色が写せなかったのだろう。

もしくは戦時中で常に戦闘機が飛び回り、煙をあげて空を汚していたのかもしれない。

俺が生まれる前の空の色は、果たして本当に今と同じ空の色だったのだろうか。



午前8時。

いつものように起床して職場に向かった。

だけれどその日はいつもの日常ではなかった。

満員電車に揺られ、駅に降りる。

そこで俺の記憶はなくなった。 


目が覚めた時、一番最初に目に入ったのは真っ白い天井だった。

腕には透明な管と、手首に名前が書かれた白のリストバンドが付けれられている。

俺は病院に運ばれたのだと悟った。

それからのことはよく覚えていない。

記憶にあるのは、余命1ヶ月という宣告を医師から受けただけ。


末期ガンだった。

肝臓ガン。

ただステージIVで全身に転移。

まさかと思った。

俺の人生の物語に終止符が打たれた。

23年間という打ち切りだ。


残りの1ヶ月。

体が動くうちは自宅療養という選択を俺は選んだ。

真っ白い天井より、家の昭和チックな天井のほうが落ち着く。

平成が終わろうとしてるのに俺の家はまだ昭和の頃のままのようだ。

平成に生まれて、平成で死ぬ。

少しだけ悪くない気がした。


短い人生だったけど出会えた人達はたくさんいる。

連絡をするか迷う。

だけれど、これから死にます!会いたいです!なんてどういう心持ちで言えばいいのだろう。

言うこちらもつらいが、受ける側もきっと辛いだろう。

いや、自分にそこまでの価値があるのか?

それまで自分の命の価値なんて深く考えたこともなかった。


連絡を取らないことにした。

猫は死期を悟ると人知れず姿をくらますという。

小さい頃、公園で冒険をしていたときに出会った野良猫もそうだった。

真っ黒の猫で安易だがクロと名付けた。

彼は会う度に寄り添ってくれて気づいたら子ども時代の数少ない友人だった。

毎日会っていたのにいつからか会えなくなったのを覚えてる。

ある日、隣町の公園の茂みのなかでクロが倒れているのを見つけた。

母親に言って病院に連れていってもらったが、手遅れだと。

体に外傷もなく、医師の診断は衰弱死だった。

あのとき、クロを家で飼っていればこんなことにはならなかったのかなぁ。


連絡は取らない。

だけれども、自分が育った町を歩く時に知ってる人には合う。

そういう人たちには伝えた。

みんなどこか寂しそうな顔をしていたが、自分の人生ではない。

ただ少し、悲しい、という気持ちが湧いただけだろう。

1人を覗いては。


地元には長年付き合っていた彼女がいた。

彼女とは幼なじみで、幼い頃からよく知っている。

いつしか2人は惹かれあって、高校へ上がるときに学校がバラバラになり初めて遠いと感じる物理的な距離感と、初めて気づく近いという心の距離間。

本気で好きだと気づいたのはこの時だった。

付き合うようになり俺たちは前よりも親しくなった。

当たり前だと言われればそうかもしれないがそれがとても嬉しかったんだ。


高校3年の夏。

彼女のお父さんが亡くなった。

俺が支えてやらないと、と前よりも一層彼女に寄り添った。

家族の前でも泣かなかったあいつが唯一泣ける場所が俺の胸の中だった。


だけれど現実はそんなに甘くない。

高校を卒業して、大学に進学したはいいものの、今度は自分の家庭環境の崩壊のせいで大学を辞めることになった。

目指していた職の夢はそこで潰えた。

家庭環境の崩壊は語りたくない。

誰にでも一つや二つ、話したくないことはあるだろう。

そのままやけを起こしプータローになった俺はフリーターで色々なバイトを転々とした。

あるとき、彼女とは真逆の女の人と知り合った。

魔が差したと言いたい。

俺は彼女を裏切り、女の人と遊ぶようになる。

それが原因で彼女とは別れた。

たまに連絡を取っていたが、向こうに新しく彼氏が出来たらしく、そこから連絡をとることはもうできなくなった。


新しく知り合った真逆の女の人はとんだ女豹だった。

若さとアホさをうまく手玉に取られ俺は遊ばれてたことを知る。

時すでに遅し。

全てを失ったと、あの時はつらかった。


そんな酷い別れ方をした元彼女とばったり道で出会った。

駅前のスーパーで買い物をした帰りだろうか。

スーパーのロゴが入った、パンパンに膨らんでる白いビニールを重たそうに持って歩いていた。

すれ違う感じで出会ったから当然向こうも俺に気づく。

俺はただいつものように調子がいい日は町をプラプラしているだけだった。

行く宛はない。

だから、方向を変えて、荷物持とうかと声をかけた。


2人でよく並んで歩いた下校道。

ただあの頃と違ったのは、年齢とお互いの背丈と、心の距離。

物理的な距離感が歩いてる今は近いのに、心の距離感は時空を跨いでしまうくらい遠かった。


元彼女は話し出す。

膨らんだお腹をさすりながら。


お腹にね、赤ちゃんがいるの。


見れば、分かる。


隣で歩いてる女の人はどこからどう見ても妊婦さんだ。

だからだろうか、重たそうな荷物を持ってるのを肩代わりして送り届けたかったのは。


正直、目に入った瞬間びっくりした。

誰の子だろうか。

いや、もう俺には関係ない。

別れてこんなことにはなってるとは思わなかった。

本当なら俺の子で、家族になるはずだった。

それはきっと過去の楽しかった日々から連想される勝手な妄想。


色々な話をした。

元から仲良かった2人だ。

会話は意外と尽きない。

ただその会話の中に俺の死はなかった。


元彼女の家に着いた。

夕陽に照らされた大好きだった人の顔は前とは少し別人の顔に見えた。

俺の手から離れた重たい荷物を持って元彼女は玄関を開けようとする。


俺、もうすぐ死ぬんだ。


思わず口に出てしまっていた。

え?と振り返った彼女はなにも理解していない顔を俺に向ける。


俺、末期ガンで余命1ヶ月の宣告を受けた。

もうすぐ死ぬんだ。


やっと少し飲み込めたのか重たい荷物を降ろし俺に近づく。

嘘でしょ?少しだけ苦笑いを浮かべていた。


嘘じゃないよ。

俺が嘘をつけないのは知ってるだろう?


彼女の顔は徐々に強張り、俺から目を離さなかった。

思えば、彼女のお父さんもガンだった。

きっとあの時のことが甦ったのだろう。

もしくは俺との思い出が甦ったのか。

正解がなんなのか俺には分からないが、元彼女はその場で崩れて泣いた。


家の前でまた少し話をした。

ずっと泣きじゃくる彼女の肩を支えて。

どうやら俺の顔色や体つきが前よりも随分変わっていたことには気づいていたみたいだった。

でも聞くのが怖くて、何気ない会話で帰り道を終えたかったらしい。

悪い予感は当たってしまったのかも知れない。


彼女は泣いた。

たくさん泣いた。

あの日、誰にも見せなかった涙を俺にだけ見せた夜と同じくらい泣いていた。


なぜ、そこまで泣くのだろう。

俺はもう君の大切な人じゃない。

赤の他人だ。

なのになぜ。

 

他に大切な人ができて、その人との間にもっと大切な新しい命が誕生して。

そして俺は完全にいなくなる。


なのになぜ?


その答えを聞いてしまった。

なんでそんなに泣くんだよと言ったら

好きだったから。

大切だったから。


過去の事じゃないか。


でも、過去は紛れもない真実なんだよ。


最後に元彼女は強く俺を抱きしめてくれた。

たった一言小さく、死なないで、と呟いたのを俺は聞こえなかったふりをした。


俺は愛されていたんだな。

幸せだったんだな。


死が目前に迫っているというのに、なぜだかその日の帰り道は幸福に満ち溢れていた。








END

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