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“正しい“は正しい?

こんにちは!あいまる。です。

秋の訪れを感じる、今日この頃…
秋といえば、食欲の秋、読書の秋、芸術の秋、スポーツの秋とも言いますが、みなさんは、どのように秋を楽しんでいるでしょうか?

私は少し前に、展覧会「私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」を鑑賞してきました。

作品を見ているのか、作品に見られているのか。
心の奥底にある、自分自身の言動を正当化したいという気持ちは、静かに、でも確実に、見透かされてしまっているように感じました。


“正しい“ 

私が今まで“正しい“と信じてきたものが、ときに誰かを苦しみに溺れさせるほどの力を持つことに、改めてその言葉が持つ“重み“を感じました。

私自身も、この言葉に囚われ、他人も、そして自分自身のことも、縛り付けてしまっていることが時々あるように思います。

以前、ある学生の言葉にハッとさせられたことを思い出しました。

私はまだ生も死も、宗教も文学も何一つ理解していません。でも、理解するということは、すなわち何かが見えなくなることだと思うのです。自分が信じ切ってしまうものに、真実があるはずがないと思うのです。

いのちの優しさ-高史明


自分の中にある“正しさ“は、視点を変えると、誰かにとっては、残酷なものであり、考えれば考えるほど、複雑な物事が絡み合っていることに気づきます。

作品を通して、自分の感情や価値観と向き合うことができる展示で、とてもよかったです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
それでは、また!




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