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夢を見せる人でありたい、ということ

夢。
そんな杓子定規じゃない、もっと身近で手の届く「ちょっと叶えたいあこがれ」ぐらいがちょうどいいのかもしれない。


夢、と一言でまとめてしまうのが乱暴なくらいなのだけど、どんな人も必ず、それぞれの人の心の中にあるちょっとした「やりたい」や「欲」や「あこがれ」があるはずなのだ。
それを、自分が思っているよりも、うーんと大切にしてほしいと思っている。

仕事をして可処分時間が減るからなのか、常識を語る人が多いからなのか、大人になればなるほど、自分のやりたいことを語るという場はどんどん少なくなっていくような気がする。
ここで指す「やりたいこと」とは、決して「終業後飲みに行く」とか「欲しいコスメを買いにいく」とか、今日オフィスから足を伸ばしたら手に入りそうなこととはちょっとちがう。日常の延長戦になくとも、”心のどこかで本当は惹かれているもの”というニュアンスの方が、近いような気がする。


別に内容はなんでもいい。
大好きなアーティストに会えるチケットのいい席を予約すること、話題のショーを見にいってみること、自分じゃ選べない一流のレストランにつれていってもらえること、ずっと欲しかったものを手に入れること、もうなんでも良いのだけれども。「自分がしてとびきり嬉しいこととは何か」ということにちゃんと集中する時間を、みんなが持ってあげればいい、と思うのだ。

自分だったら、の妄想は簡単だ。行ってみたいところ、してみたい体験、着てみたい服、送ってみたい日常。自分の頭の中には、誰にも頼まれず、いろんなことが浮かんでいる。じゃあ、今隣にいる人の、叶えたいことはなんだろうか?理性的に抑えているけど、実は願っていることは何なのだろうか?そんなシンプルな疑問が、実はいま、一番気になっていることだったりする。

もちろん現状で満足しているならばいい。十分楽しくて、もうすべてやってる!ならそれでいい。それでも、どこか「どうせできないし」とか「こんなこと言ったら笑われるし」と言って、押し込めてしまっている何かがあるのならば、そっと、その思いを解放していってほしい。
わたしたちはついつい、実現可能性や、時間や、お金、立場など、さまざまな要素を冷静に見て、意外にその「何か」を選ばないような気がしている。
だからこそ、その人が憧れているとか、やってみたいことを、見抜いて叶え続けてあげられる人は素敵だなあと思っているのだ。


思えば、特に社会人になってから、私はいろんな人に夢を見させてもらっていた。今でも私には、自分の原点になったたくさんのシーンが鮮明に浮かんでくる。

ホームパーティで出会った、自分の仕事に誇りを持ちながら誰もが羨むキャリアを携え毎日をとびきり楽しむオーラが溢れている女性たち。エレベーターのボタンの押し方で解錠される、誰も踏み入れられないVIPフロアの存在を教えてくれた人。パーティですれ違う、距離が離れていてもファッションやオーラから明らかに一般人じゃない雰囲気が伝わる集団。
「この人たちの妙に人を惹きつける魅力って、何なんだろう」「まだ見たことがない世界って、何があるんだろう」と、ドキドキを抑えながらその人たちの存在を盗み見ていた。その人たちの見る世界、ファッション、仕事を楽しむ姿勢、私にとってはそれが、「ちょっと叶えたいあこがれ」のヒントだった。そしてそれらは、今私の活動の原動力となり、今も私を突き動かしている。


そう、私たちは、もっと夢を見ていい。

やりたいことを声高に語り、手に入らない現実に不満を覚え、じゃあどうやって手に入るのか?をもっと貪欲に探してもいいはずだ。本当は押し込めている自分の思いを、あの時とある理由であきらめたかけがえのないときめきを、もう一度拾いなおして、「わたしは、これが、やりたいんです」と胸を張って、言おう。
それが認められ、叶えられるロードマップが描ける世界を作っていけるのが、もっともっとこの人生を楽しく生きるヒントだと信じて止みません。

一人でも多くの人が、自分の心の声に素直になりますように。そしてそこから生まれるハッピーの連鎖が、この世に続いていきますように。

そうしたときに、この毎日が、もっときっと楽しくなるはずだから。

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