伝えなくてよかった、あの日のこと
人生で告白をしようと思ったことはほとんどない。でも、極限までしたくなって、しなかった日の記憶を、思い出すときがある。
「憧れ」と「尊敬」と「未知」が入り混じると、気づかないうちに恋に落ちているものだ。
貪欲に、野心的に生きていた、20代の頃。いつだって、気持ちのおもむくまま、男女ともにときめく人を感性のままにおいかけていた。突き動かす原動力は、いつだって「この人の見ている世界を見たい」という気持ちだけだった。
だいたい、“そう"なるときは最初にわかる。
思考のスケールが違う。私の世界が、この人の世界ではない。世界の捉え方が違う。そう気づいた瞬間に、その人の世界がどうしても見たくなってしまう。すっかり、人として、のめり込んでいる。
だいたい、私がそうなる人は、他の人も同じことを思っている。今っぽくいえば、“沼っている“のだと思う。思考か、欲か、闇か、世界への探究心なのか。そこが気になり始めたら、もう戻れない。止められないのだ。
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東京から遠く離れて、しん、と静まり返った深夜、2時か3時。夏の夜に輝く星を見ながら、"その人“ととりとめもない話をした。そして、それぞれが、その時の”恋”の話をした。恋に落ちるかもという話と、すでに恋に落ちていてどうしようかという話だった。お互いがお互いを、励まし合った。良い未来になることを願った。胸は、ちょっとだけ痛んだ。
お互いを見ることは、なかった。
ずっと、この関係性であることが幸せなのだと、その夜私は悟った。
喉元まで出かけた、「実は好きだったんです」という言葉。飲み込んだ感覚は、この先もきっと忘れない。
大人だからこそ、続くものがある。あえて、しないこともある。それだけの強さと、気を張れるひとでいたい。30代になる前の私は、大人のお作法を学んだ。一瞬の気持ちを堪えても、永く続くほうを選ぶのだ。
だって、…人生は長いのだから。
それでも、これからも、きっと恋をする。突き動かされる、まだ見ぬ何かを追い求めて。
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