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サブカル大蔵経900藤原辰史『分解の哲学』(青土社)

父の葬儀で終わりの始まりを感じました。積み上げたものが壊れていく、むなしさ。でも、本書のおかげで〈ほぐれ〉ました。

解くことで、時が生まれる。

崩れて、響き、跳ね返る。

食うこと、ロボット、屑拾い、ミミズ。

さすが、青土社の本。

学生の頃は古本屋に入ると、まず「ユリイカ」のバックナンバーを探していました。

空気階段の鈴木もぐらがKOKで優勝した時、前日もトイレ掃除をしていました、と発言していたのが印象的でした。分解側の人なんだと思いました。

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適度な距離感を保ちながら、子供たちの要望に結構ドライに対応しているのだが、この距離感がまた子供たちに心地良いらしかった。p.14

 団地のゴミや廃品でおもちゃを作るおじさんの技術は現代のスーパーマンのよう。

壊れたものは自分に近い。壊れているものの修理を通じて、そのメカニズムを体で理解して、ようやくものと深い関係が築けるというのがナポリ人の哲学である。p.32

「新品」に興味も信頼もないナポリ人。ものとの付き合い方。これは、物だけでなく〈人物〉や〈物語〉に対してもそうかも。

積み木は「形づくられすぎて」いない、あるいは「完成されすぎて」いない、というフレーベルの考えp.84

 崩すこと前提の積み木の発明。未完成こそ子供は飛びつく。ガンダム最終回での分解されていくジオングとガンダムを想起。

「現実的なものに神秘的な姿を、知られたものに知られざる者の尊厳を、有限なものに無限な仮象を与え」ようとするロマン主義を見逃すことができない。p.88

 ここでもドイツロマン主義と浄土が連想されます。そして、〈不滅の肉体〉という概念は吸血鬼を生み、萩尾望都という創造者を生み出したのかとも思いました。

崩れて、響き、床から跳ね返る積み木を、そしてその再生の形態と副産物としての響きを、ここではさしあたり「分解の哲学」の基本形としたい。p.108

 生産できないと、消費に傾く自分。もう一つ分解という生き方を模索。

生産ではなく、消費でもなく、分解を中心に据えてものを考えてきた本書にとって『RUR』が示唆的なのは、人間とロボットの形態的・性能的差異性がだんだんと縮まってくることである。p.134

 人間のロボット化、ロボットの人間化。本書では『わたしを離さないで』もとりあげられます。生産しないで消費されるだけのクローンが意志を持つ。実は私こそがクローンなのではないかと思いました。たしかに、何が違うのか。

屑の領域と神の領域が実は親近性があるp.179

 大本教・出口なお、紙屑買いの神話。

なぜ食べる方が「上位」で食べられる方が「下位」なのか。捕食者は「食べさせられている」とさえ言えるのだから。p.239

 ゾンビも『進撃の巨人』も『鬼滅の刃』もこの観点で読み直したいと思いました。

一度に全体を完成させるのでなく、既存の建物を解体して生じた部材を新しい建物で利用する。このような段階的な建築によって、修復しながら成長していくという「モノ」による新陳代謝のネットワークを作り出そうとしている。p.282

 「減築」の建築家・能作文徳。建築の中の物語・モノガタリ。寺院も維持が悩みの種なのですが、これでいいのかも。

しかし、予想は裏切られた。見知らぬ人から借りてその場をしのいだのである。/メンテナンスとは、このような緩やかな人間関係を持つ包摂するダイナミックな行為である。p.284.5

 贈与関係にストレスを感じる人たちへ。田中利和『牛とともに耕すーエチオピアにおける在来犂』での〈しのぎ〉の思想。

着物は、ほどくとふたたび長方形の部分に分けれ、それを仕立て直すことができるように、「とく」ことは、「はじまる」ことの前提/「とく」が「とき」という語の原型である。p.317

 和裁と裁縫。日本のつい最近の日常。分解されていた衣食住。

分解の世界から眺めてみると、歴史は発展してきたし、いまもしている、という議論は妄言以外の何ものでもないだろう。p.321

 分解視点の思想。南方熊楠もそうかも。

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