見出し画像

サブカル大蔵経986松尾剛次『葬式仏教の誕生』(平凡社新書)

仏教本来から逸脱した〈葬式仏教〉。
しかし、昔の日本の官僧は葬儀を忌避していて、葬儀とは、人々の願いと時代の要請に絡んだ〈遁世僧〉たちの革命だったと。

法然・親鸞・道元ら、いわゆる鎌倉新仏教の僧侶たちも、明恵・叡尊ら旧仏教の改革派といわれてきた僧たちも、遁世僧と呼ばれていたことである。p.71

本書のキーワードは〈遁世僧〉。いわゆる親鸞の〈非僧非俗〉ともつながるのかも。

仏教者が葬式に従事することは自体は決して仏教者の堕落ではなく、極めて重要な革新的な活動であったといえよう。p.146

そして〈葬式仏教〉から〈生活仏教〉へ。

本書は、真宗大谷派富山教務所での講演録をもとにしたもの。大谷派さんは本当に講演録を大切にされています。

画像1

われわれがどこから来てどこへ帰ってゆくのかについての論理という意味である。p.22

土葬、海洋葬、火葬、風葬。
空に上がる煙。地水火風空。
葬儀とは私が元素に還る道。

仏教が日本仏教のように葬式に関与、いや依存するのは例外的である。中国や韓国においては、檀家制度のようなものはなく、仏教は日本ほど葬送に関与していない。p.27

韓国の葬儀は儒教式、中国は仏教式にして仏教が復興したとされる。民衆と仏教のよすがが葬儀であり、寺院の基盤となる。

僧侶であったとしても、支援者のない僧侶は、死にそうになったら、寺外に捨てられるといったことが一般的に行われていたp.59

僧侶が、死穢を嫌い、仲間を捨てていた。
これが、源信が〈二十五三昧会〉を始めたモチベーションではないかと。
実は、源信僧都こそ、革命家だったのか。

葬式を望む人々の存在と、慈悲のために穢れを憚らず葬式を行う僧侶の存在、すなわち、慈悲のために穢れ忌避のタブーを敢えて犯す僧侶の出現がわかる。p.67

『沙石集』1巻4に見える僧侶の物語。

律僧たちは、官僧たちが囚われていた死穢というタブーを乗り越え、それを操作可能なものとする画期的な論理を打ち立てていた。/念仏僧たちは、死穢、死体をどう考えていたのだろうか。p.97.101

律僧の教団としての覚悟と念仏僧の活動。
「清浄の戒は汚染なし」
「往生人な穢れなし」
綺麗事なのか、教団維持の策だったのか。

檀家制度の成立にあたって、日本全国に葬祭に組織的に従事する鎌倉新仏教系寺院の成立が必要である。このため、十六世紀から十七世紀は、鎌倉新仏教系寺院が続々と建立されていった。p.148

寺檀制度の確立のための葬式仏教寺院。
必要とされた組織的ネットワーク。

江戸時代の寺院には、大きく祈禱寺と葬式寺の二つがあった。自力を否定し、祈禱などを否定する真宗寺院は、もちろん祈禱寺ではなく葬式寺であった。それゆえ、寺院の維持のためにも檀家が必要で、鎌倉新仏教系の中でも真宗寺院は檀家の獲得に熱心であったと言われている。p.156

落語「黄金餅」のお寺を想起しました。「おとむらいしてくれよー」

真宗寺院は妻帯し、子供が跡を継いだので檀家との関係が維持しやすく、いわば、真宗寺院は、寺檀制度に適合的であったといえる。それゆえ、真宗寺院は江戸時代に大いに展開していったと考えられる。p.156

鎌倉の禅、室町の法華、江戸の真宗か。その背景は、法よりも、血縁の信頼だった。

この記事が参加している募集

読書感想文

本を買って読みます。