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サブカル大蔵経989豊原大成『お釈迦さま最後の旅と葬儀』(自照社出版)

本書で霊鷲山でサンドイッチを食べていたことを告白する豊原さん。
教団に関わるさまざまな役職を歴任されていた方で、インドに留学もされていた方。こういう方がトップだと何か頼もしかったです。先日ご逝去されて、寂しいです。

巻末にヒンドゥー教とイスラム教の葬儀が掲載されているのが著者の真骨頂だと思いました。仏教だけではないのだと。仏教だけを見ようとすると他が見えなくなり、結果的に仏教も見えなくなるとの思いを勝手に感じました。

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この世の見納めとして、もう一度だけ、カピラ城を見たかったのだろうと私は思います。/ご存知のように、親鸞聖人も60歳過ぎに、関東から京都へお帰りになっています。p.15

ブッダも親鸞も遍歴を重ねた一生であり、最後は故郷に向かったのではないかと。

サーラというのは背の高い木ですが、葉は長い方で20センチくらい、狭い方で10センチくらいの落葉樹です。幹は建材にも使われ、ゆるやかな香も発します。p.24

 涅槃図に描かれる沙羅双樹。サーラ樹は学生の頃読んだインドの説話にも出てきた記憶あります。香るんですね。

お釈迦様が最後におっしゃった言葉の中に、私たちが少し妙だなと思うところがあります。それは「葬式はクシナガラの町の人に任せておけ。僧侶はいつものように勤め励め」、そのようにおっしゃったそうです。つまり「僧侶は関係するな」とでも言う意味のことをおっしゃったようにも受け取れるわけです。p.35

この釈尊の台詞を現代の私たちが解釈していること。どう読むかで、見解が正反対になってしまう。本書ではまず、アヌルダとアーナンダコンビによるブッダの説法反復が通夜の始まりとして描かれています。

ですから、葬儀はやはり僧侶や、最も身近な弟子や法類(在家の場合は肉親知友)が関わらないといけないと言うことなのでしょう。p.47

火葬の火がつかないまま、七日後、仏弟子のマハーカッサパ(摩訶迦葉)が現れたら火がついた。だから…ということなのか。

法然上人は、「その必要はない。私の場合はそこに仏さまがおられるのだから、仏像は要らない」と断られた。p.67

 
親鸞『西方指南抄巻』中本、六。これは法然の伝記を通した、親鸞の思いを記したものなのだろうか。

最近聞いた話ですが、葬儀で「正信偈」をあげている途中に、「もう焼香が済みましたから、おつとめをやめてください」p.72

 
葬儀会社にそう言われた理由を考える。遺族の思いを代弁しているのかも。
もう読経にこだわらなくてもいいのかも。初日のお通夜で読経と法話を勤め、二日目の葬儀は出棺と火葬がメインでいいかも。昔は葬列がメインだったらしいし、葬儀での読経にこだわっているのは僧侶だけなのかも。他に現場でできることはある。遺族と一緒にお花をお棺に入れる。入棺名号を書いて入れる。霊柩車とバスを参列者と一緒に見送る。これらは父がしていたので、私も真似して受け継いでやっています。

自転車の後部の荷台に、遺体を左右の方向に横たえてやって来るのが、日々見かけられました。p.92

豊原さんが見た、ガンジス河での葬儀のため遺体を運んでくる家族。自転車かぁ。

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