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サブカル大蔵経95井上美香『北海道歴史ワンダーランド』(言視舎)

 国際地図で最後まで確定されなかった島、北海道。しかし今は日本の普通の地。住んでいる私も特段北海道に住んでいることを意識していない。本書はさまざまな角度から北海道人の常識に穴をあける。穴から何が見えるのか。懐かしい鷲田小弥太教授の弟子の著作。

あるときは地球儀の視野、あるときは日本。内地からの視点で。p.6

 地図もひっくり返して見ると、北海道は日本よりロシアや中国大陸に近い雰囲気。

松前藩は蝦夷地を積極的に治めようと言うことにはならなかった。p.28

 松前藩の再評価。圧政ではなく、松前藩とアイヌは上手につるんでたのかな?

世界の覇権を握るイギリスやフランスと同緯度。本多利明。p.34

 高緯度でつながる地域。

1789年、羅臼で和人70名がアイヌに殺害された。納沙布岬から9キロほど内陸のノツカマツプ岬でアイヌ処刑執行。その首を塩漬けにして松前まで運ばれたp.37

 一気に一触即発。根室から松前まで。

松浦武四郎が上川のアイヌの家に宿泊、同居している61歳の盲目の老女アシノメノコはかつて間宮林蔵の妻であり、隣にいる11歳の少年は林蔵の孫にあたる。旭川在住の間見谷喜昭さん。p.47

 間宮林蔵。旭川に、間見谷さん⁈

マクドナルド最初の上陸地焼尻島にも地元中学生が作ったトーテムポールによる上陸記念碑が存在。ペリー黒船の6年前に漂流来日したマクドナルドのおかげで通訳が育った。p.65

 このトーテムポール、焼尻に行った時見ました。マクドナルドって誰やねん、と思ったのですが、謎が解けました。歴史的な漂着だったんですね。焼尻いい所ですよ。

箱館戦争の時にいたガルトネル兄弟。あわやプロイセンの植民地になるところ買い戻された七飯の土地。p.78

 まさか七飯がドイツの植民地・直轄地になりそうだったとは…。インドの唯一の仏領ポンディシェリーみたいな感じか?

島義勇の後の土佐の岩村通俊北海道初代長官の上川熱。京都、東京、北京ほっきょう計画を受け継ぐ軍人・屯田兵トップ永山武四郎。明治22年黒田内閣が倒れ山県内閣になった機会をとらえて、改めて「上川北京構想」を上申し閣議で了承得るまでこぎつけます。しかし法制局の慎重派の介入により北京は離宮へ縮小変更されます。ところが札幌側の猛反対により計画が頓挫。ならばと軍都誕生。p.128

 「上川熱」!旭川が北京に。京都・東京・旭川?札幌の猛反対^_^旭川には今でも候補地に「御料」という地名あります。

郡司成忠。私設屯田兵の千島報効義会を組織し、明治26年3月20日、隅田川から自力でボートで千島列島へ。福島沖で犠牲者19人。再度択捉へ。占守島に上陸。父もやって来る。越冬。脚気で死者続出。部下白瀬矗にも見限られる。明治29年植民開始。日露戦争勃発。奇襲かけ、犠牲者15人。死闘の場所。今にして思えば、この地が日本だったからこそ、北海道は占領されずにすんだかもしれない。p.140

 この郡司さん、昨年訪れたユジノの博物館に写真展示されてました。↓

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人喰いヒグマ剥製とその中身の少しのホルマリン漬けが北大博物館に。p.152

 初めて聞きました…。

イザベラバードはアイヌをヨーロッパ的と語る。p.154

 上から目線・オリエンタリズムという批判もあるバード・アイだが、アイヌを日本人から剥がして西洋に引き寄せる考察は興味深い。

村上春樹の羊をめぐる冒険。A駅。旭川駅舎。学生は旭川農高生。北永山駅で降りた。p.168

 まさかウチから近い駅がモデルだとは…私は村上春樹の真髄は紀行文学だと思っています。宗谷本線を描いてくれたのは光栄です。しかし村上春樹と旭川と言えば、どこかでラブホテルの名前を考察していた印象。〈ホテル農協〉についてだったかな?

1950年代、異常な北海道ブーム。映画。樺太・満州を失った日本人への異郷を提供。p.174

 植民地補完。〈サブ〉としての北海道。それを意識させない植民地政策。

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