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サブカル大蔵経930若月俊一『村で病気とたたかう』(岩波新書)

どうして昔の岩波新書は面白すぎるのか。著者なのか編集者なのか。今よりも枠にとらわれていないような。それでいて品があるというか。中野美代子「中国の妖怪』、椎名誠『活字のサーカス』など…。

私がこの山の中に赴任するには訳があった。実はその前年の昭和19年のまる1年間、私は治安維持法違反のかどで、東京の目白署に拘禁されていたのである。p.3

いきなり不穏なプロローグ。病気とたたかうのではなく、もろ全共闘的な…。

次々と現れる敵と難題に対応し、そのスケールは寒村の一病院から世界へと波及していく…。これ、日曜劇場の新作の原作になりそう。

農民のために国や地元と闘いながら、経営者として病院を拡大させた異能の著者。

現在の佐久病院のHP見たら、いきなりヘリポートの写真。長野が長寿県になった要因もこの病院だったのか…?

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「人民の中へ」という私の基本的精神から言うならば、これはむしろ喜ぶべきことであった。p.11

 人民と来ましたか…。インテリゲンチャの高揚感。

私どもがこのように農村演劇に力をつくすについては、宮沢賢治先生の教えが大いに影響があったこと言わねばならない。p.29

 宮沢賢治の科学と言葉が医師を走らす。

私などを中心とする本院の連中の非革命性が強く批判されるにようなるのである。p.58

 病院の中の内ゲバを制す。若者の熱情と理屈を批判。理屈で経営できるかと。

むしろ農民が病気にかからないで、病院がひまであることが理想なのである。p.73

 病院の黒字よりも農家の健康予防。

意地悪を言われてカッとなった若い嫁さんが、洗濯をしている姑さんの頭をナタでめった打ちにして殺し、自分は実家の裏庭の井戸に身を投げて死んだ。ところが、その井戸には、十数年前、その嫁さんのお母さんがやはり身を投げて死んでいる。p.101

 これを内因性精神病遺伝と推理し、精神科の設立を要請する著者の駆け引き。今昔物語か遠野物語か。それを科学し医療に引き寄せる手腕。

それは、百姓は人間とは考えられなかったからである。封建社会では医者は常に御典医であって、農村の中には、本当に医者と呼べるような者はいなかった。考えてみれば食うや食わずの百姓が医者にお金を払う余裕があるはずはない。p.107

 ところが、当時の東條首相と小泉厚相は農村医療を推進。戦闘員補充のため!

この地方では、ゴマを栽培するとタタリがあって、その年は天災に見まわれるといういいならわしがあるという。p.115

 植物性脂肪普及の壁。武田信玄伝説。

なぜ石炭ストーブをやめたのかと聞くと、石炭ではあまり部屋が暖かすぎてもったいないからだと言う。p.126

 北海道の暖房の行き過ぎはこの頃から。それに比べて慎ましい道外の寒冷地。

寒い家の中の生活、休息の少ない毎日で、農村には都会の人では考えられないほど若いうちから腰が曲がってしまったり、手足の関節が動かなくなってしまったりする人が多い。p.135

 農夫症という定義。

「農夫症」問題をまっさきにとりあげたのは、昭和27年の第一回日本農村医学会総会で、旭川厚生病院長の藤井敬三博士であった。p.129

 その旭川厚生病院を作ったのは私の祖母の父親でした。


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