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サブカル大蔵経188西牟田靖『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社)

 近現代史の日本の遺産や国境のルポを著していた西牟田さんが、本が増えていく人々のさまざまな例を取材し、最後には自らが体験したことを綴った全ての本好きの身代わりになってくれたかのようなドキュメントでした。著者が最後に得たものとは。

 本と人、蔵書と人、蔵書と部屋、本好きと家族の駆け引き。整理、捨てる、電子化、棚の強化…。参考になるようなならないような。やはりその人独自の環境と背景を踏まえた取り組みがあり、これが正解というものもないような。特に、蔵書が電子書籍化される解放感と後悔も取り上げられていきます。本という存在は何なのか。さらなるネット至上主義化が進むのか、共生が進むのか。逆に本に回帰していくのか。

 ちなみにタイトルの本床現象は私も学生時代、床は抜けなかったですが、地震で棚の本が全て落ちてきて、たまたま友人がその時一緒にいたので本を押さえてもらって助かったことがあります。本は凶器になるんだと一度だけの経験です。

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松原教授のアドバイス。抜ける理由は壁に置いているからですよ。壁の回りに本棚を置くと部屋の真ん中が歪む。床が上がるんです。真ん中にも置いたほうがいい。p.33

 床が柔らかくなるらしい。私の部屋も本棚の位置を変えると、何か磁場が変わります。

他人の荷物は嫌だ。本来なら空いているはずの空間が他人に侵食されていく日々をもう二度と味わいたくない。p.60

 夫婦、同居人の蔵書について。そして失うものと得るものと。協力と孤独。協調と自由と。

「自炊」と言う行為は屠畜に似ている。生命体から物体へと変わる瞬間が衝撃的なのだ。p.122

 本にハサミを入れて切るという行為。以前、自動車メーカーが他社の車を研究するために他社の車を購入してバラすという文章を読んで強烈な違和感を感じました。でも、研究とか分析って、こういうことなのか。ならば、本を分解するのも不思議ではないのか。自炊はしたことないけど何かが変わりそうです。

本の束が電子データとしてこの中に入っているかと思うと不思議である。サーバーがまるで4次元ポケットのようだ。p.180

 実質今はスマホがそうなっているのでしょうか。

草森進一の蔵書の保管場所は旧東中音更小学校である。帯広大谷短大が引き受けた32,000冊のうちここには非公開の30,000冊が所蔵されている。p.198

 昔学会で帯広短大行きましたが、ここは覗かなかった。残念。

もしもし、西牟田です。今、妻と子が出て行ったんだよ。(中略) 歯型がついた『じゃあじゃあびりびり』という乳児用の絵本、「これいらない」と言って娘がほとんど使わなかった音の出る絵本、最近は絵が気持ち悪いと言っていた『いちにちのりもの』という絵本などが捨てられていた。p.239

 捨てられた絵本の哀しさ。本にはこういう哀しみを感じさせる力もあるんだと思いました。

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