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サブカル大蔵経334小林英夫『満鉄』(吉川弘文館)

この会社は日本最大の株式会社として中国東北に君臨した。この会社は名称は鉄道会社でも実態は1つの植民地国家であった。p.3

単なる植民地ではなく、豊富な人材と先進的なシステムで本国日本を凌駕する満洲。NTTとドコモの関係みたいな感じでしょうか。

満鉄幻想ー。満洲への興味は、もともとは安彦良和『虹色のトロツキー』を読んだのと祖父がノモンハンに従軍したからです。鉄道好きにも幻想を掻き立てる満鉄。さらに大杉栄家族を殺した甘粕正彦の存在。

植民地は善か悪か。北海道は?

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満鉄の起点の大連はロシアがまちづくりをしたこともあって全体にロシア風で、この地を踏んだ日本人は一様にロシアを通じてヨーロッパの香りを満喫した。西欧の空気を胸一杯吸った知識人は、この地に日本国内とは似て非なる特異の文化を作り上げたのである。p.5

 〈日本〉の中に欧州があったんですね。

「あじあ」を駆使して活躍した外務大臣に松岡洋介がいる。彼がヨーロッパに行ってドイツでヒトラーに会い、帰国途中でモスクワに立ち寄りソ連の首相スターリンと会見、その時に彼は「あじあ」で満州を疾走しシベリア鉄道で帰ってきている。森繁久弥は満州電電のアナウンサーとしてと満州敗戦まで統治で過ごした体験を持つ。p.16

 あじあ号と森繁節誕生秘話。

汽車時間表の1936年昭和11年10月号。欧亜連絡と言うページを送ると日本ーモスクワローマベルリンロンドンパリ間連絡となっている。パリまで半月あれば行けたと言うことになる。p.19

 陸路で繋がってた日本と欧州。この時刻表欲しい!

その意味では、満鉄の起点である大連は、海路で海外に出発する横浜神戸敦賀と並んで、陸路ヨーロッパに開かれた日本の窓口の1つであった。p.22

 横浜、神戸、敦賀、大連か。凄い並び。

「満鉄は明治大帝の御遺産にして国民血肉の結晶なり」とは1933年昭和8年10月に満鉄を改組させようとした関東軍の動きに反対して満鉄社員会が挙げた宣言書の冒頭の言葉である。p.24

 関東軍との攻防。天皇の遺産、満鉄。

アメリカの鉄道ハリマンの魂胆は満鉄を買収することで世界一周鉄道を実現することにあった。p.26

 鉄オタのロマン

後藤新平は3代続いた総督が手を焼いた台湾住民の反日運動をその根本から断ち切るために、抵抗運動の担い手だった村落有力者の抱き込みと懐柔を目指して、土地調査事業を実施した。反日派の経済的基盤の切り崩しを図ったのである。p.38

 後藤の台湾植民地政策と北海道開拓。

あれはなんだいと車の上で聞くと、あれは電気公園といって内地にもないものだ。(夏目漱石『満韓ところどころ』)p.46

 サハリンの公園にも電車がありました。

矢内原忠雄。日本人が多数満州に渡ってきているがその多くが日本人相手の商売に終始し、いわば共食い的状況にあること、外国人相手も商売の主流が売春婦であることを嘆いている。p.55

 殖民学のトップ矢内原の視点。売春婦を嘆く。理想と違うということか。

社員共済制度が整備されるのは、日本よりはるかに早かった。今日の日本の健康保険制度に近いものが先ず以て満鉄で実施されていたのだ。p.80

 満鉄から始まった制度。炭鉱からかと思っていたが。

講座派か労農派。前者は、反封建民主主義革命、後者の立場に立てば社会主義革命。共産党と社会党の対立がそのまま学問的対立した。p.121

 佐藤優氏が別な本で解説していたこの両派。この二つの対立がいまだに解消されていないのか。

山口弁で話せる岸、日産の鮎川、満鉄の総裁松岡洋介。p.147

 時を超えて息づく長州閥。

都市対抗野球に集まった大連満鉄倶楽部優勝候補。翌年は大連実業。第一回から第3回までは大連勢が優勝を独占した。p.172

 満洲と野球。

そこで白羽の矢が立ったのが甘粕正彦だった。スタッフの賃金格差を是正し憲兵隊にショッピかれた中国人のスタッフを電話一本で解放させた。日満高官が女優を招きお酌をさせたと聞くと激怒し強烈な抗議をしてお詫びを入れさせる一幕もあった。俳優は芸術家で芸者ではない。満映の元日本人職員で彼の悪口を言うものは今でもいないと言う。p.180

 満洲が消え台湾は彼方に。最後の〈植民地〉が北海道だとするならば、〈北海道の満鉄〉は開発局かな?北海道に住んでいると、馴染んでるけど謎なのが、開発局と拓殖という言葉です。

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