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サブカル大蔵経222永江朗『私は本屋が好きでした』(太郎次郎社エディタス)


なぜヘイト本が書店の棚を平積みを占めているのか。旭川の地域書店でもそうです。今日も行きましたが、中国・韓国に対する考察本が異様な感じで積み上がっています。ま、占いコーナーみたいな感じですが。

一番ふさわしい書き手と言える永江朗さん。しかし、今までの著作の中で取材していて一番疲弊したような…。

滅びます、か…。

出版界には、仕入れて売るという他の小売業では当たり前の概念が存在しません。多くの本屋、とりわけ小さな本屋の場合、店頭に並んでいるのは、自発的に仕入れたわけではない、取次から見計らいで配本される本です。発注しなくても商品が自動的に送られてくるのです。p.17

 今再読している伊達雅彦『傷だらけの店長』にも、休まることのない書店の現状が描かれていますが、立ち止まって考える余裕がない現状に入り込んでくる「誘い」。経営至上、売上確保、競争。

書店と寺院は似ていると思っているので、寺院もそうなっていくのかもしれません。

自分の店に来週、どんな商品が入ってくるのかわからない。p.18

 逆に、そういう流しソーメンのような受け手として開き直るべきか?糸口として。

おじいちゃんにとっては、ファンタジーみたいなものなんだと思う。気休めというか。そう、癒し。p.48

 右翼的言質のファンタジー感。異人論的噂。近所の人や家や国が最も許せないイライラする手近な相手。

ネット右翼って、反大手メディアなんですよ。p.152

 ネトウヨの正義感。

ゾーニングの話を書店員としたら、でも、出版の自由度表現の自由が…と言う。さも面倒くさそうに。p.218

 出版社が、芸能事務所みたいになっていくのかな。YouTubeで直接繋がりがてきた場合、出版という存在も消えるのか?

寺院も本屋も受け手への中継地点。中抜きコスト。中継がいらなくなるのかもしれない。

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