サブカル大蔵経966中村元訳『ブッダのことば』(岩波文庫)
『終末のワルキューレ』を読んでから、自分の中で〈釈迦ブーム〉が来ています。
僧侶なのに、今頃というか。
ワルキューレのおかげです。
「仏説」の付くお経も、全部あの人が説いてるイメージでよむようになりました。
作中に出る『スッタニパータ』を30年ぶりに再読しました。釈迦様もすごいけど、あらためて中村元先生は革命的でした。
私が学生の頃、先輩が「俺が日本人に生まれたメリットは中村元の言葉が読めることだ」と話していたことを思い出しました。
自身による「註」と「解説」には、
いわゆる〈仏教学〉なるものを捨ててかからなければ、『スッタニパータ』を理解することはできない。p.326
「仏教学」を捨てる。いかに現代の僧侶や一般の方の頭の中に〈仏教〉がこびりついているのか。それを剥ぎ取ろうとされているのです。現代の仏教学教育に対しても批判をされているわけです。
それは原文に無理を加えたのではなくて、かえって訳者のこの翻訳のほうが原文に近い直訳であることを、原典と対照されるならば、明らかに知られるであろう。p.441
中村翻訳イズムの根幹。仏典をわかりやすい日本語で訳すことがどれだけ革命的なことか。ある意味、経典破壊ですから。
僭越ではあるが、『スッタニパータ』について少くとも分量的にはこれだけ解明した書は、海外にはないと思う。p.444
珍しい中村元先生のドーダ!(©︎鹿島茂・東海林さだお)
輪ー古代インドにおける武器の一種p.352
転輪という神器、武器!
私が本屋ならワルキューレのコミックスの横にこの本を置きます!
この本の異様さは、訳文が終わった後の190ページにわたる「註」です。革命的な訳に、どんな参考書よりもためになる講座のような註。二度楽しめる〈飴玉〉です。岩波文庫の中でも、屈指の壮大なお得感。
仏教の僧侶は働かない。/ここでは思想史的に重大な問題が提起されているのである。p.266
中国や日本の儒家・国学から言われていたことは当時から言われていた!
かれには〈仏教〉と言う意識がなかったのである。p.270
〈複数形のブッダ〉から読み取る真説。釈迦は「わたしがー」ではない、代弁者。中村元はブッダとは普通名詞で、神格化されていないブッダを浮かび上がらせます。
本書のこの詩では、乳頭ではなくて、乳房全体のことを意味しているのである。p.275
まさかの鶴光トーク!
人生の指針として、こんなにすばらしいことばがまたとあるだろうか!p.402
中村元の宗教的興奮に興奮!
最後の章は全て〈学生〉の質問コーナー。釈迦は自分からは説かない。受けとめる。
私は何人の雇い人でもない。自ら得たものによって全世界を歩もう。1章25節p.14
この一文からプンプン漂う釈迦の行動。
もしも汝が、〈賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者〉を得たならば、あらゆる危難に打ち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。1章45節p.18
ここ、ワルキューレで引用されてました。この章は、ここ以外全て文末は、「犀の角のようにただ独り歩め」です。ここだけが、〈ともに歩め〉。貴重な一節。
私にとっては信仰が種である。1章77節p.24
ワルキューレの章題にも種と土が。
詩を唱えて(報酬として)得たものを、私は食うてはならない。1章81節p.25
お布施とはお経の対価ではない。あらためて肝に命じます。
稷・ディングラカ・チーナカ豆・野菜・球根・蔓の実を善き人々から正しいしかたで得て食べながら、欲を貪らず、偽りを語らない。2章239節p.54
やはり、釈迦様、豆食べてました。私もワルキューレ読んでから、業スーで炒り豆買って食べてます。美味しいです。
師は舌を出し、舌で両耳孔を上下になめまわし、両鼻孔を上下になめまわし、前の額を一面に舌で撫でた。3章p.123
ワルキューレの釈迦の造形もあらためて三十二相と照らし合わせてみたい。あの犬歯も三十二相?
わたくしは王ではありますが、無上の真理の王です。真理によって輪をまわすのです。3章554節p.124
転輪エネルギーは真理。人力ではない。そして、その輪は常識を壊す武器となる。
生まれによって〈バラモン〉となるのではない。生まれによって〈バラモンならざる者〉となるのでもない。行為によって〈バラモン〉なのである。3章650節p.140
カースト理論を破壊。それぞれは尊ぶ。釈尊は誰よりもバラモンに詳しかった。
嘘を言う人は地獄に堕ちる。3章661節p.146
スッタニパータにあった言葉。
苦しみを知り、また苦しみの生起するもとを知り、また苦しみのすべて残りなく滅びるところを知り、また苦しみの消滅に達する道を知った人々、3章726節p.157
苦しみを知ることが解脱の第一条件。まさに、百福ちゃんですよ!
ひとから尋ねられたのではないのに、他人に向って、自分が戒律や道徳を守っていると言いふらす人は、自分で自分のことを言いふらすのであるから、かれは下劣な人である、と真理に達した人々は語る。4章782節p.176
これ、ダンディズムの香りすら。
論争の結果は(称讃と非難との)2つだけである、とわたくしは説く。この道理を見ても、汝らは、無論争の境地を安穏であると観じて、論争してはならない。4章896節p.196
論争に勝っても平安はないと。
修行僧は、非難されてもくよくよしてはならない。称賛されても、高ぶってはならない。4章928節p.202
いじけないこと。昔、私の恩師も諭してくれました。
古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。4章944節p.204
中村先生が註で激賞していた箇所です。
第五 彼岸に至る道の章p.218
やはりワルキューレは中村訳に忠実。「至る」!
本を買って読みます。