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サブカル大蔵経197中野光敏『江戸名物評判記』(岩波書店)

 サブカルチャーの元祖?の研究。岩波新書の大判で読みました。貴重な研究だと思いました。

 〈爛熟した〉江戸市民の関心。目の欲望。今の芸能人カタログやアイドルグラビア、風俗嬢名鑑、食べログ的ランキングにゴシップ掲示板。

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徂徠学の大流行。東大一流の学者先生が、食べ物屋や水茶屋の評判娘と全く同レベルで評判記の1部となる。これを文化の爛熟と言わずして何と言おうか。文化は爛熟の果てに風俗・流行となって風化する。近世中期の名物評判記は今から2世紀も早くに日本に訪れていた文化欄宿の相の1場面を見せてくれることにもなるのである。p.6

 全てがフラットになった時代。

真面目の錘りが重ければ重いほど、真面目離れの可能性が大きければ大きいほど、誠に屈託のない、おおらかな子供遊びにも似た原作が生まれ、内心の後ろめたさを持ち続ける限り、その戯れにはある種の翳りや陰影が刻み込まれて、手段としての、武器としての笑には絶えて見ることのできぬ一抹の味わいが生じてくるものでもある。この時期の戯作が大人の戯作たり得た所以である。戯作はパロディである。p.55

 お笑いというジャンルの萌芽が。

生真面目な存在であるべき朱子学や古学の学者先生をつかまえて、遊里や遊女・評判娘、さらには相撲取り等と同列に、その人気を評判するなどと言う発想、すなわち学者や学問を流行の名物の一端として把えるという発想は、まさしくこの宝暦明和安永天明と言った近世中期の土壌の中でのみ育まれた感覚であった。すなわちまさに学問が流行したのである。その流行の有り様を如実に示してくれるのが学者・文人類の評判記なのである。p.130

 識字率の高さや紙媒体の流通の豊富さの裏返しでしょうか。

江戸の書物には「物の本」と「草子」の区別が大切である。れっきとした思想伝達あるいは人の理法を伝えるものが物の本であり、その場かぎりの慰め物として読み捨ての類が草子である。p.146

 日刊ゲンダイなどのタブロイドや少年漫画誌のあの紙がメディアになり、本になり、文庫になり。

江戸っ子の江戸自慢はそれまでの屈折した田舎者根性を覆すべく、従来の文化的上位者上方に対して、精一杯伸び上がって発生された、文運東遷運動完遂の叫び声なのであって、これまで言われるような江戸町人の武士に対する反抗精神を表明などとは全く違うものなのである。その証拠は江戸自慢の第一が将軍様と言うことである。p.188

 上方への引け目が江戸を生んだ。よしもとは逆襲した。今もせめぎ合いは続く。

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