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サブカル大蔵経248植木等『夢を食い続けた男』(ちくま文庫)


私の父がよく、植木等の父親はすごい人だったんだよ…と誉めていた。

戦争反対。その運動と差別の現実。社会への行動。闘いと非国民。

父も原発反対運動で座り込みしていたら、非国民と石を投げられた。

植木等自らがその父、植木徹誠を語った本書。

激しくて晩年はチャーミングだった「支離滅裂」な人。

私の父もそうだった。

解説、栗原康さん。最近よく本で出会う。

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おやじはまた、日常生活においても多分に「支離滅裂」だった。p.4

 外で言ってることと、ウチでしてることが違うでしょ、って。

御木本幸吉翁は「乾くまで手でこする」と言った。p.22

 三重の偉人。洗っても手はふかないで・・。

糾弾が開始された。相手方は暴力団を雇った。p.79

 生々しい。闘争をいとわない。

警官が道を阻み、「あれは説教ではない。共産党の演説会だ」p.93

 警官も名台詞残すなあ。

「部落解放運動第一主義であってはならないんだ。」p.102

 この観点。

周りで皆が異常になった時に、それを異常というのは、たやすいことではない。おやじは、その難しいことをやったと思う。「戦争は集団殺人である…」親父はまた引っ立てられていった。p.174

 集団、世間、組織が相手となると。自分は世間の中に。

夏の暑い日だった。貧しい檀家の仏壇の前で阿弥陀経を上げながらふと気がつくと、そこの家のお婆さんが団扇で私に風を送ってくれている。そして私がお経を終えると、お婆さんは「ありがとうございました」と、畳に額を擦り付けるようにして挨拶してくれた。p.186

 私にもひとり、団扇であおいでくれる檀家さんがいます。その風はどんな扇風機よりも優しくて、柔らかくて、包まれていきます。

真浄寺という寺は格式が高い。元真宗大谷派の門首と、4人のお子さんが全員、この寺から学校に通った。だから、いわば私は、真宗大谷派の門首の弟弟子と言うことになる。p.209

 大谷派は、今からでも植木さんのことをもっと発信してほしい。うらやましいです。

戦死の公報が来る前に、戦地の徹兄貴から一通の軍事郵便が届いた。それには、こう書いてあった。「内地ではお母さんに親不孝な事ばかりして、心配をかけつづけでした。ほんとうに申しわけありませんでした。お許しください。お母さん、いつまでもお元気で」p.223

 乱暴の限りを尽くした息子(植木等の兄・徹)のこの手紙。ずるいよ。でも、その奥底に、死ぬ前に触れる。間に合ったのか。

到着した先、つまり北海道有珠郡伊達町西関内(せきない)は、洞爺湖の近く、昭和新山のすぐそばの伊達紋別の山中だった。私が身を寄せたのは、そこの農家、平井家である。p.233

 まさかの伊達紋別!!

あの日、つまり例の玉音放送の日、私たちは、確か伊達中学校とかいう学校の校庭に集められていた。p.238

 山田風太郎や宮脇俊三がそれぞれの意外な地で玉音放送を聞いた文章を読んだが、まさか植木等が伊達で聞いたとは…。

「わかっちゃいるけど、やめられない。ここのところが人間の弱さを言い当てている。親鸞の生き方を見てみろ。葷酒山門に入るを許さずとか、肉食妻帯を許さずとか、そういうことをいろいろな人が言ったけれど、親鸞は自分の生き方を貫いた。おそらく親鸞は、そんな生き方を選ぶたびに、わかっちゃいるけどやめられない、と思ったことだろう。うん、青島君は、なかなかの詞を作った」p.249

 わかっちゃいるけど、やめられない。真宗にとっての大事な提起だ。

「等、俺は、あの世に行っても親鸞に合わせる顔がない。俺は恥ずかしい、恥ずかしい」p.284

 親鸞が常に念頭にあったんだな…。

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