見出し画像

サブカル大蔵経845高橋秀実『損したくないニッポン人』(講談社現代新書)

私の基準は、得をしたいのではなく、損をしたくない。

身の回りのことから、天皇や松下幸之助もフラットにイジる、無敵・高橋秀実さん。

ボクシングトレーナー出身だけあってか、距離感の取り方が天才的で、読者の予想を超えて、瞬時に中に入ってくる。

文献学・フィールドワーク・聞き取り・好奇心・妻のツッコミ。全てを駆使して身近な問題から広がり、根源的に入っていく。

そしてまさか親鸞の教えがこのようなところでこんな簡潔に正しく説明されるとは。

地獄は損しない。ここは地獄だと思えば、損する心配からも解放される。p.220

地獄を住処と説いた親鸞。地獄がデフォルトと思えば。

画像1

個々のポイントは得かもしれないが、全体的に損しているのでは。p.38

 何が得なのか損なのかわからなくなる。

損得ばかり考えていると、しまいには生きていること自体が損のような気がしてきた。p.67

 損得、勝負、健康、人生とは。

経済理論とは、現実をよく観察してそれに基づき理論を構成し、つぎにその理論により再び現実を説明することを試み、必要ならば理論をさらに修正していくのである。
要するに後出しということ。p.68

 高橋さんは芸人のようにいつも忖度なく相手を上手にイジり倒すのですが、経済学そのものも俎上にのせてくれました。

主婦向けの節約本。有効利用の為に、無効な家事が増え、残り物もホームパーティーも、節約のためのムダ。p.72

 自分で増やすモノや仕事。

「モノを買うってことは、騙されてあげることじゃない。あなたは何かと『あるじゃん』という。その考え方が貧乏くさいのよ」でもこの石鹸、初回割引で二回目からは…、これ不当表示…「だから?」いや、法的に…。「法律は関係ないでしょう、法律を盾にするな、この貧乏人!」関係なくもないが…。「法律じゃ肌はツルツルにならないのよ。そう言っていちいちうるさいから、ストレスがたまって肌がカサカサになるんじゃないの」p.114

 著者の奥さんとの対話。〈買う〉ということの根源がこの会話にあるような。

「買う」とは「交ふ」(大言海)p.136

 交わるか…。

定価がないとみんな困るでしょ。割引も定価がなければできないし。百貨店が定価を決めて世に出す。その後メーカー側は量販店に卸し割引を始める。百貨店は定価で売るというより定価を売るようである。百貨店はもともと呉服屋ですからね。呉服屋はぼったくりビジネスの典型ですからね。原価なんて誰も知らないし訊いたりしませんから。呉服屋は御用聞き。ついでに〇〇を持ってきておくれ。外商のルーツ。p.118

 定価を作るのはメーカーではなく、百貨店でした。そこが権力の源泉だったのか。百貨店亡き今、どこが決めているのか?そういえば最近皆〈メーカー希望小売価格〉ですよね。

おカネは交換手段ではなく、払うためのもの。1万円で払って清める。p.192

 清めたまへ払いたまへ。呪術としての貨幣。だからここぞという時は新札なのか。

親鸞は善良な人に警告している。仏教には4つの善いことがあるが、悪の報いをうける。優れたい為にお経をよむ。ご利益を得る為に戒律を守る。自分に従わせる為に布施をする。最上位に生まれる為に、心静かに思いを凝らす。すべて浮かんでは沈む。人間は迷いの世界にいることを願い求めている。なるほど、彼は目的を持つことの不合理性を説いているのだ。p.218

 親鸞の説く宗教と利益。これは大事な視点だと思いました。なぜ人が念仏に惹かれたのか。そしてそれでもなぜ人は浄土に行きたくないのか。目標を持つ不条理さに親鸞は気づいた。釈尊的な感じがします。

売薬の"先用後利"のように、仏になる修行をするのではなく、先に仏になってしまい、後から利益を得ればよい。これが最も損しない方法なのである。p.218 

 薬売りであり、真宗王国である富山県。その関係性を掘る。まず、仏になることの安心。

《念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ。そのゆへは、自余の行をはげみて仏になるべかりける身が、念仏をまうして地獄にも落ちてさふらはばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔もさふらはめ、いづれの行もをよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし》(『歎異抄』)
【訳】《念仏をして地獄に落ちても後悔はしない。なぜなら、自力で修行に励んで仏になれる人が念仏をしたがために地獄に落ちるのなら後悔もするだろうが、どの修行も及ばない身なのだから、もともと地獄が住み処に決まっている。》
つまり、自分を有能だと思うと修行いかんで損した気分にもなるが、無能だと信じていれば、最初から地獄と決まっているので、損することはない。これは究極の「損しない」教えではないだろうか。p.219

 親鸞聖人の独自性はこの部分なのではないか、と思わされました。私は法然さんは巨きい人だと思います。そして、親鸞さんは繊細な人だと思います。だからこそ損しないことにこだわるのはありだし、現代性があるのではないかと思いました。

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,500件

本を買って読みます。