サブカル大蔵経381安藤昌益著/奈良本辰也訳注『統道真伝』上下(岩波文庫)
図は米粒と胎児の比較図p.152です。
荒俣宏さんの著作で紹介されていた安藤昌益、一度読んでみたいと思ってました。
…あの江戸時代において驚異の忖度なき主張…。異常と真摯、妖しさと鋭さ、古くささと現代性の同居…。
「科学博物を以て私法、私道たる儒仏神老荘医の失りを糾す。」
岩波文庫の上巻では、
特に江戸日本の支柱儒学をdisりまくる。
下巻は、万国博物と仏教dis。昌益の博物分類センスに着目したいです。
〈上巻〉
いわゆる智・仁・勇の三徳は、これ私作の妄造なり。p.29
孔子の妄造!
大学は孔丘の私法、自然の道に非ず。p.83
私法!
子孫直耕して怠らず道を転定とともにす、これ真の祭弔なり。妄りに先祖を弔祭せよとは聖釈の利己の失(あやま)りなり。p.126
祖先ばかり敬うな。
第三月の図解。鼻の象り(かたどり)を為して鼻竅を通す。p.194
胎児を透かして観る!
恙の虫、人の為に大害を為すに鼠これを害して己れ知らざるに人を救う、これ鼠の仁なり。p.287
鼠の仁!
多鼠を殺さず、これ猫の仁なり。人、鼠を悪んで猫の一度に鼠の百も採り殺せよという思言あり。これ猫に如かざる不仁なり。猫は常に人食の魚肉を盗み食わんことを欲すれども、人視るときは打たるるの辱を忍んでこれを盗み食わざるは猫の義なり。親しんで己れが主の膝に上がれども、他人の膝には謙退して上がらず、これ猫の礼なり。人、鼠の啼くに似せれども、鼠に非ざることを弁えること、これ猫の智なり。己れ腹飢えて鼠を採らんことを守るに専一と為して、盗食の念を為さず、これ猫の信なり。p.289
ネコの仁・義・礼・智・信!
猫を褒めてるのか孔子を貶めてるのか。
幽霊論。これまた、自然に毛頭これ無きことなり。これ釈迦これを作り出す。p.296
釈尊が幽霊を作った。
人魚。至りて稀に生るるものなり。人にあらず、魚にあらず。人魚を用いるときは、胸郭亦人に添加する理を以て、これを治すに薬と為すなり。p.359
人魚もいます。
〈下巻〉
故に雑草は万物の尽極なり。p.24
雑草こそ究極の生き物!
鳥類の言語。カツクワフ。獣類の言語。ワンワン。イイ。メイエ。ニャンニャン。p.95
^_^
薪木は薬師如来、篝火は大日如来、灰土は不動尊、鍋金は阿弥陀如来、煮水は釈迦如来。p.106
キャンプの炊事に各如来降臨!
和訓に一人というはヒタル日足なり。男一人は日足なり。日は定を回りて離れず。故に男は女を思いて忘れざるはこの所以なり。p.112
稲はイノチネ寿根なり。イノチ寿とは、飯の中イイノウチなり。p.131
仏法を立つ、又欲なり。欲は迷いの始めなり。故に釈迦は迷人の始めなり。p.149
釈尊こそ迷いの人だと!
釈迦は母の左の乳の下を蹴破りて誕生し、転定を指差し天上天下唯我独尊と云える、これ甚だ世界を迷わす魔言なり。母を殺すは大罪人なり。p.177
蹴破りてにツッコミ入れてきた!
悲しいかな、源空は自然の目前に直耕の弥陀あるを知らず。一向宗はこの懐中の横生の最中なり。p.241
米あっての念仏
旧事記、古事記、日本紀の三部の書は、自然の真道に非ず私法にして皆失れり。p.251
古事記もあかんのかぁ。
一向宗始めて繁栄し、肉食妻愛する世俗に同じ。これ終に仏法滅却して自然の世に帰すべきその前表なり。聖釈の失りあやまりを知り、自然を明らかにする者の日本に生ずる、又其の証なり。p.254
一向宗は、仏教に引導を渡したのか!
昌益の漢文は、まことに特殊な漢文で、東北地方の方言らしきものまで平気で混入してきている。/しかし、あまりひどいものは、少しく改めたところがある。p.5
若き奈良本辰也の弁。
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