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サブカル大蔵経338永六輔『永六輔のメディア交遊録』(ちくま文庫)

黎明期からまかり通る放送界の申し子と言ってもいい永六輔。ある時期を境にテレビからラジオに場を移し、反骨を貫く姿も印象的。しかし、本書で登場する対象は徳川夢声からルー大柴までの幅広さ。プロレスにも縁があって驚いた。永六輔は「カミノゲ」でインタビューしてほしかった。西村知美も取り上げている永の慧眼。

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あれから40年、野坂さんは僕にとってかけがえのない先輩なのである。p.23

 この二人どちらが先輩か後輩かわからなかった。トリローグループで野坂が先輩なのかな?この二人のやりとり、もう一度見たい、聞きたい…。ある意味、三木鶏郎が最重要人物に思えてきた。

淀川さんには、今会っても少年のようにあしらわれる。p.24

 少年…!

徳川夢声氏に「永六輔生意気なり」と書かれた頃、浄瑠璃のどこが面白いと書いて、安藤鶴夫氏に叱られた。p.31

 わんぱくRockスケ。

声の大きさでも負けたくないという負けず嫌いで、僕はそれに気づくまで、力道山とはよく怒鳴りあった。p.38

 力道と競るとは…!

上を向いて歩こうが「ウヘェウォ ムウゥイテ アハルコオゥオゥオ」となったのは清元や長唄のせいだと知ったときに、その歌い方がいかに外国人にとってエキゾチックなものだったかがよくわかった。/さて、九を思い出すと、僕は彼が大好きだったサンマーメンを食べる。野菜たっぷりにとろ味をつけた具のラーメンで、彼が育った川崎中心にしか見かけない。p.46・47

 あらためて「九」って呼び捨てにした時の名前の響きのすごさ。昔ベルギーのハッセルトという街に行った時、そこの日本にゆかりのある公園でスピーカーから「上を向いて歩こう」が流れていたのが思い出深いです。〈九=日本〉なんだと。

対談をしたときに僕が「活弁」と言う言葉を使ったのが良くなくて、「活弁」は活動弁士が自分に使う言葉で、第三者が使うのは失礼だと言うのである。p.48

 徳川夢声は、著書を読んでみても、かなりプライド高そうな印象でした。漫談講談の矜恃ゆえか。

萩本さんで注目すべきはブラウン管での言葉遣いにある。「だわ」「なのよ」「かしら」語尾が女言葉、性別不明の1歩手前で踏みとどまっているのだ。この柔らかさが家庭に向いた。p.76

 このジェンダーフリー感。〈欽ちゃん六ちゃん〉で番組実現しなかったのかな?萩本のパジャマ党と永六輔のいたトリローグループの関係はどうだったのかな。

素顔の森田さんは、芸能界の観察者であり批評家でもある。まさにテレビが必要とする人材だったのだ。彼のサングラスは芸能人であるより、芸能界に距離を置くために必要な小道具として考えるべきだろう。p.79

 野坂、永、小沢ら。もうこの人たちを受け継ぐのはタモリしかいないのかも。

小沢昭一さんは助平だけど学者でもある役者。p.81

 TBSラジオの戦友。

西村知美くん。僕は彼女によって若者を見直しつつある。p.98

 「カミノゲ」先月の巻頭インタビューもすごかった。

土曜日のラッキィ池田と山中伊知郎と言うユニークなトリオで醸し出す雰囲気は特に異常、時に猥雑なのだが、その異常さ、猥雑さを知的に中継する関谷浩至さんがあって人気コーナーになっている。p.100

 カンコンキンメンバーと永六輔。現代の芸人に足りないもの。

昔からQワード (きっかけになる言葉)の言葉尻を軽妙に外す人だ。同じような人に黒柳徹子さんがいる。だから久米・黒柳のコンビニはスリルがあった。p.114

 予定調和を崩すという久米テクニック。たしかにベストテンとかを今YouTubeで見るとかなり破天荒な進行で驚く。

私は呉服屋の娘だからね。自分じゃ着ないけど他人の着物は気になるの。その青森の大きな呉服店の名が「阿波屋」。p.119

 淡谷のり子の覚悟。

「あのバットは赤ではありません。エビ茶です」まず、川上さんは赤を否定した。p.125

 まさかの赤バット否定。

ルーの厚かましさには勢いがあって面白い。やかましいだけと言う印象もあるが、芸能界の因習とは無縁の爽快さがある。p.156

 たしかに。コサキンで発掘された時、懐かしいなぁ。

そうだ彼女を和田さんに紹介したのは僕だった。p.166

 平野レミと和田誠のキューピット?

うまいのやかわいいのはたくさんいるが、凄いと思われるタレントは滅多にない。p.172

 せんだみつおという現役のリーサルウェポン。

全身を使い、汗まみれになって生きる道を説くのは、やはり伝道師、説教者のあり方だろう。p.173

 丸山浩路さんのNHK手話ニュースでの永六輔とのコンビは録画して見てました。テレビ史に残るひとつの伝説と言っていいと思います。いまだに手話ニュース見ながら丸山さんと比較してしまいます。

力道山がプロレスラーになる前から、僕はトシ東郷、ハロルド坂田、沖識名と言う名前を知っていた。この人たちは力道山をハワイでプロレスラーに育てあげる。今の曙や武蔵丸の反対なのが面白い。p.204

 ハワイというプロレス史重要地点。

「わては噺家だす。オチまでやらしてくれなはれッ」p.210

 永六輔が新宿フォークゲリラに桂朝丸を誘うも機動隊に囲まれ、座布団ごと抱えられて連行。その時のセリフ。ざこばの肝。

40年のお付き合いはあっても近寄るのが怖い人である。先日もすれ違いざまに耳元で「大泥棒」とつぶやいてニヤリと笑うと消えてしまった。その一言がベストセラーになった『大往生』の全てを言い当てていることにぞっとした。p.212

 三木のり平の圧。トリローグループ。

命日はメモしておいてゆっくりとお墓に行くと言う形で個人を偲ぶことが多くなる。本当に死と言うものはいつも突然で迷惑なものである。幸いにして僕は寺の子である。いつまでも弔問客が来たとしてもそれが日常だからとホッともする。p.271

 いつも思ってました。僧侶よりも僧侶らしかった永六輔さん。私たちの代わりに伝道してくれていました。

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