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サブカル大蔵経857橋本英樹『お寺の収支報告書』(祥伝社新書)

僧侶の本分を逸脱したような仲間と固定観念に覆われた檀家の板挟みの中での決断。

檀家制度の廃止。

すっきりしたと。

たぶんそうだろうなぁと思います。

私の父も昔、10年に一度くらい、檀家を続けたいかアンケートを取って、続けたい方々とだけ一緒に歩んだらいいのではと話していたこともありました。その方がお互いいいと。

なるほどと思いながら、今に至りますが、結果的に10年くらい経って地域からも檀家からも離れていく人が増えてきました。

そうやって、檀家制度は自然にすたれ、寺院も消滅していくのかもしれません。

危機感の中で宗教とは?が問われていく。

教団と寺院の関係も活写されています。

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お寺というものは、一般の人々が暮らしていくのに、何の必要もないところです。p.13

 今、寺にいても思います。しかし、家族の話では、一昔前は毎日檀家さんが誰か彼か来ていて、何することもなく、お茶やお酒を飲んでいかれたと。大変だったけど、懐かしいと。

お寺は所轄の都道府県に毎年収支報告書を提示するが、同様のものを宗派本部や配下組織が求めてくることはない。p.25

 私も住職を預かってから、毎年総会資料を庁舎に提出しています。こんな業務があるとは思いませんでしたが、オウム事件から特に提出を求められているそうです。そして、本山側も末寺からの上納金をもっと回収するために資料の提出を各寺に求めてきそうです。はっきりしていいと思いますが、はっきりすることで困るところも多くなり、かえって教団の存在が崩れそうに思われます。

結局のところ、住職、あとは何とかしろよ。ということで、宗派とお寺をつなげるものは、お金しかありません。p.30

 浄土真宗の地域組織をあらわす〈組(そ)〉というグループの規約に、ほぼ活動内容への規定はなく、結局地域内のお寺がそれぞれきちんとお金を納めてください、ということが第一のようです。中央集権か地域分権か、の流れでしょうか。

参拝料とるのは宗教行為ではない。p.151

 西本願寺が参拝料を試みるという話も伝わってきています。世界遺産を名目に。

曹洞宗はなぜ分裂しなかったか。義雲が教団設立貢献者では。p.193

 道元禅師以降の祖師たちの歴史を学びたいです。

個々の僧侶が敬愛する師を持ちアプローチをそれぞれ持つことと、宗派に属するのは別物です。p.194

 宗派にこだわらない時代が来そうです。だからこそ自分たちの宗派の良さをそれぞれが再認識できるような感じになるといいなと。

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