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サブカル大蔵経239宮沢章夫『わからなくなってきました』(新潮文庫)

「わからなくなってきました」という状態を流さない孤高の書。

そこで立ち止まってくれるのか、そこからしか見えない風景を伝えていただいて、ありがたいとしか言いようがないが、立ち止まらなくてもいいのにね、というのが「常識」ということなのかもしれないということもわかったような気がする。そこを立ち止まるのが哲学という状態なのか。

アナウンサーは興奮気味に言うのだ。「わからなくなってきました」(中略)そんなに無責任な言い方をしてもいいものなのだろうか。p.12

 現実の中の実況。

弱い人が奇妙なのは、弱いくせに宣言してもべつになんの問題も起こらないところである。たとえば「機械に弱い人」だ。p.44

 なぜある一定の人はわざわざ宣言するのでしょう。

「だめになってゆく」なんという美しさだろう。(中略)理想と希望を掲げて開店したが、いつのまにか、メニューに「焼きうどん」があるのだ。p.98

 なぜ、〈崩壊〉は美しいのだろう。求めていないはずなのに、それを見つけた時の喜び。堂々としているからだろうか。

家電売場はさみしい。私には、そのさみしさが、なにか心地よかった。p.123

 奴隷市場のように思うことあります。置かれた存在。揃っていたり欠けていたり。

病人は演技する。病人と、そうでない者という関係を作るため、ごく自然のうちに、病人は演技を強いられるのだ。p.143

 これも明日の看護学校の授業で生徒に投げかけてみたいと思います。

修学旅行生の「ピース率」は異常に高い。あれはなんなのだろう。(中略)たとえば、長崎の原爆が投下された…p.156

 ピースサインをするTPO。しちゃいけない場所ほど目立つピースサイン。委ねきったピースとは。

最近では、「屋根」に登る人もあまり見られなくなった。かつてはそうではなかった。(中略)ただ、屋根に登る。なぜか登ってしまうのである。p.175

 登っていいんですよね。昔、屋根登るの好きでした。雪深いところは屋根が遊び場でした。落ちて捜索されて怒られたことがあります。

「なんか、黒酢がいいらしいですよ」こうして私たちは、とりあえず話す。話しながら、「俺はいま、とりあえず話してるんだなぁ」と自覚している。p.219

 私も毎日そうです。まさかこんな話をと思う話を大半は流されてるのか選んでいるのか、話しています。その方が真理かも。

尾崎放哉「墓の裏に廻る」こうなるともう、なにがなんだかわからない。p.306

墓という場所。

ちなみに、本書はなぜか書庫に二冊ありました。2度買ったんですね。

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しかも、著者近影が新古で違いました。

上記はNHKでサブカル講座をされていた時のお顔。最初に買った時は下のお顔。

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わからなくなってきました。

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