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サブカル大蔵経861岩波新書編集部編『辞書を語る』(岩波新書)

本来「読む」ものではない辞書を愉しむことを、昔、赤瀬川源平『新開さんの謎』が教えてくれました。

最近ではサンキユータツオさんの著作を読んで、辞書を数種類買いました。

しかし結局、使いやすい辞書は、昔から家にあって何気なく使っている辞書が一番なのかなと。

辞書にまつわる物語の本書。

そうそうたる執筆者たちなのに、あまり付箋を貼りませんでした。

それくらい辞書を語るということは、狭くて広いということなのかもしれません。

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【言海】伊藤博文の祝詞。そもそも我が国語は、新古雅俗の多きが上に、外国語梵語の移入せるものもまた少なからず。p.14

 世界の中の国家として必要だった辞書。この時点で、梵語が意識されていたことに驚きました。欧米語と梵語は分けられていたのかな?それとも漢語?

旧版理化学辞典を二冊ばらし、一項目ごとに切り抜いて、原稿用紙に貼り付けていくのが、まず最初の作業。p.38

 辞書も自動車もまず解体。

味わうしかない。らっぱ、りっぱ、スリッパなんて、もう谷川俊太郎の世界である。p.114

 辞書の中の語感の果てしなさ

辞書万能主義に陥る恐ろしさ。p.132

「辞書を疑う」ということを、学生の頃、恩師が話していました。

本を読むということは、行間から私の勝手な幻想を広げることではなく、テキストの意味を可能な限り作者の意図に近づけて理解することだという。p.228

 作者と読者のはざまを漂う。辞書はその助けになるのだろうか。

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