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自分の全てを見せる必要なんてないのだ。

ありのままの自分で居すぎると、それが否定されたときに立ち直れなくなってしまうよね。


って話が、「推しの子」第7話の内容でした。
見てないよ〜!って方はめっちゃ面白いアニメなので、どうぞ1話から見てください。


今回は「推しの子」からインスピレーションを得てnoteを書いてみます。
というのも、私も「ありのまま」を見せて傷つきがちなタイプだなあ、と思ったわけです。

嘘をつくこと・自分を隠すことが、なんだかとんでもなくいけないことな気がして、聞かれている以上に「本当の自分」を見せてしまう。

で、それを理解してもらえなかったり否定されて死ぬほど落ち込む……ということを、幾度となく繰り返してきました。


苦手な人・嫌いな人を避けて生きていければいいけど、100%それを実現するって至難の業だし、そもそも本当にそんなことができている人は世の中にどれほどいるのでしょうか。

私も例に漏れずでして、年に数回どうしても顔を合わさなければならない人で、どうしても苦手な人がいます。

プライベートな話とか価値観的な部分に首を突っ込んできては否定されて、その人に会ったあとは「マジなんなん?」って数週間モヤります。

人のこと詮索して否定するその人は絶対どうかしていますが、よく考えたら私もその原因を作ってるんですよね。


私、自分の全部、見せすぎなんだわ。


仕事の話なら嘘や隠しごとはよくないですが、私のプライベートとか価値観なんて、全部を教えてあげる必要なんてないんですよ。

聞かれたことに100答えて否定されて傷つくくらいなら、当たり障りなく30〜40くらい答えておけばいいんじゃないか。

たとえば「アニメがめっちゃ好き」という価値観を否定されてモヤる未来が見えているのであれば、否定してくる前の人では「アニメは嫌い」とまではいかなくても「人並みに見てます」ぐらいの設定にしておけばいいんですよね。

そこには多少の嘘が入り混じるけど、相手を傷つけるわけでもなければ自分が必要以上に傷つくこともない。

価値観が合う人、合わないけど理解しようとしてくれる人にだけ、聞かれたことに100答えてあげればいいのです。


「ありのまま」を分かってもらえるのが理想ではあるけど、人間社会においてそれはなかなか難しい。

本当に心を許せる相手以外には、薄い仮面を被って、自分の「人物設定」を作って対峙する。

その仮面や設定が壊されたとしても、それは本当の私でないから、生身の自分は傷つかなくて済むのです。

なんていうとちょっと寂しい感じがるけど、自分を守るために自分を隠すことも必要だよね。

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