見出し画像

こんな自分でも、推してくれている人がいるかもしれない。

色々と発信したり活動したりしているけど、特に有名人でもインフルエンサーでもない私。

『私程度じゃ』とずっと思っていた中、こんな私でも、意外と誰かになにかを与えているんだなって気が付きました。

今日はそんな話を投稿してみます。

■ライバーを辞めて気がついた、リスナーにとっての自分

先日、昨年の6月から始めたライブ配信を辞めました。
大手の配信アプリ『17ライブ』で約半年間認証ライバーとして楽器の演奏配信をやってきましたが、仕事や他の活動、プライベートとのバランスが上手くとれなくて年末に休止、そのままうやむやな2ヶ月を過ごしてしまい、つい先日きちんと引退宣言をしました。

仲良くしてくれるリスナーさんは何人かいたけど、特に人気があったわけでもなくランキング上位に入ることもないような弱小ライバーだったし、私なんかが引退しても大してなにも変わらない。
代わりの『推し』がたくさんいるだろうな。

リスナーさんに対してすごく失礼ですが、正直そんな風に思っていました。

でも、いざ引退表明をTwitterやアプリのタイムラインに投稿すると、2ヶ月も放置したのに反応をくれる人が思った以上にいて、『待っててくれた人もいるんだな』と感じました。

なにも出来ていないと思っていたライバーとしての自分も、リスナーさんになにか与えていたものがあったのかもしれない。

しばらくはライバーには戻れそうにないけど、こんな弱小ライバーを支えてくれたリスナーさんとはまたどこかで繋がりたいです。

■noteで思いの丈を語る自分

先日投稿したこちらのnote。

読んでくれた人が、コメントをくれました。

ついつい深く悩み、モヤモヤしてしまう自分の感情を言語化してくださっているように思い、救われています。

すごく純粋に『嬉しい』という感情が湧きました。

私はライターでもエッセイストでもないただの一般人。
このnoteも、特に役に立つライフハックやノウハウを提供しているわけではありません。

自分がいつも頭の中でぼんやりと考えていること、悩みとまではいえないようなモヤモヤする感情、将来への不安や期待を自分のためにダラダラと書き連ねているだけ。

そんな私の言葉に『救われる』と言ってくれる人がいるんだ。
顔もまったく知らない人の、小さな支えになっているんだな。

■YouTuberとして、視聴者から見られる自分

現在私は、2つのYouTubeチャンネルを運営しています。
ひとつは写真・カメラ系チャンネル、もう一つは私の音大生時代の経験を語るチャンネル。

どちらも決して大きなチャンネルではなく、登録者数もカメラ系が500人ちょっと、音大系が200人に届かないくらいです。

そんな小さなチャンネルにも、毎回コメントをくれる人がいます。

こんなヘボいYouTuberの動画を、いったいどこからどうやって見付けてくれたのか不思議でならないのですが、動画を見るだけ、高評価を押すだけではなくコメントまでくれるなんてありがたい限りです。

コメントをするって、行動的にも心理的にもなかなかの労力だと思うんですよね。
でも、こんな私にその労力を使ってくれる人がいる。
『また楽しみにしてます』なんて言葉をかけてくれる優しい視聴者さんもいるのです。

私なんかが、なにか役に立つんだろうか。

スーパーネガティブ、後ろ向き思考な私はいつもそんなふうに思ってしまうけど、自分が思っているよりも、自分のことを待っていてくれる人は多いのかもしれない。
自分の知らないところで、誰かが自分を推してくれているかもしれない。

もう疲れたな。頑張りたくないなって思ったとき、まだ出会っていない『自分を推してくれてる誰か』を想像すれば、少し元気が出そうです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?