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所謂「子ども好き」ではない私が、教育の仕事をやる理由。

あんまり外では言わないようにしているのですが、私は子どもがそれほど好きではありません。

結婚はしたとしても、子どもは欲しいと思わない。そんなタイプです。

その理由については、バッシング覚悟で以前にもnoteに書いています。

そんな私ですが、ここ数年は音楽家として子ども向けの仕事に多く関わっています。
幼稚園児くらいの小さい子から高校生まで、わりと幅広く。

これだけ聞くと「子ども好きじゃないのにどうして?」と感じる人も多いだろうし、自分自身でも「あれ、なんでだ?」と思っていたのですが、最近その理由が少し分かった気がするのです。


私は「育児」をしたいとは思えないけれど、「教育」の手助けはしたい。


先述のとおり、私は無条件に子どもが好きかと聞かれると、全くもってそうではありません。

身内の子ならまだしも、電車や店内で騒いだり大声を出す見ず知らずの子どもには普通にイライラしてしまうし、相手が物心つかない幼児だと分かっていても、よだれが付いた手で自分のものを触られるのは嫌。
赤ちゃんを抱っこしたいとも思えません。

育児に奮闘中の親戚・友人の話を聞いていると「きちんとパパ・ママやっててすごいな、偉いな」と思う反面、自分がそれをしたいかと問われると首を横に振ってしまいます。
自分のために使える時間が減るのも、睡眠時間が削られるのも、私には絶対に無理。

でも、そんなふうに言いながらも、自分が教えている生徒・児童はきちんと「可愛い」と思えるのです。


なるべく小さいうちから色々なものに触れて、知って、感受性を育てて、のびのびと大きくなってくれたらいいな。

キラキラ光る楽器を生で見たり、親子でコンサートに行った記憶が、楽しい思い出のひとつとして大人になってもずっと残るといいな。

部活で音楽をやることを通して、自分で考える力や集中力を養ってほしいな。


純粋にそんな気持ちで、子どもたちと関わっています。そしてそれができるのは、私が「親」ではなく「先生」だから。

親ではない私は、そこにいる子どもたちの一生のうちのほんの一瞬しか関わらないけど、だからこそ非日常的な刺激を与えることができるんじゃないかと思うんです。


子どもは宝。


この考え方には、私もすごく納得しています。
子どもが育たないと、日本の未来が育たない。

でも、心の底から「産みたい」という気持ちがない人が子どもを産むのはちょっと違うな、とも思うのです。

私はきっと一生「親」としての育児はしないけれど、「先生」として教育にほんの少し手を差し伸べていきたい。

それが私にとっての「子どもと未来を育てる」ということだと思うから。

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