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人生の終わりを見つめて。

またしばらくnoteの更新が止まってしまっていました。

今週、父方の祖父が亡くなりました。

色々な事情を考慮し、葬儀はせず身内での見送りのみに。

仕事もあるだろうから無理に帰ってくることはないと父は言っていたけれど、やっぱり最後に顔を見せて挨拶くらいはしておきたいと思い、3日間ほど帰省していました。


今は帰路につき、新幹線の中で久しぶりにnoteを開いています。


祖父の体調が良くないことは前々から聞いてい
ました。

そのため、父から連絡を受けたときも、さほど驚くことはなく、こんなこと言うのはひどいかもしれないけど、悲しいとか寂しいという感情もあまり湧きませんでした。


ああ、そうなのか、と。


名前の知らない感情が頭の中をゆっくりと回っているような感覚でした。

つい先日会社の人にお盆の予定を聞かれ、「飛行機高いのでお盆は帰りません〜」なんて話していたところだったのになあ……とぼんやり思い出しながら、バスや新幹線の手配をしました。


地元に到着してすぐ、祖父の顔を見に行きました。

眠っているような祖父の顔を見ても、あまり実感も湧かず、涙も出てこない。

というのも、どんなに頑張って思い出そうとしても、祖父との思い出があまり記憶にないのです。

幼少期は数年間一緒に住んでいたはずなのに、その頃の祖父との記憶がまったくない。
祖母とのやり取りはいくつか覚えているのに。

別々に暮らし始めてからも、私の実家のすぐそばに祖父母の家があったから、それなりの頻度で顔は合わせていたはず。

決して嫌いだったとか遊んでくれなかったとかではないのに、どういう訳かまったく思い出らしい思い出が出てこないのです。

唯一覚えているのは、私が小さい頃、祖父がドーナツとホットケーキの中間のようなよく分からないお菓子を作ってくれたことだけ。

名前も分からないあのお菓子の味だけを、なんとなく脳みそが覚えている。それだけでした。


悲しいとも寂しいとも違うなんともいえない感情の中、このまま涙も流さずに見送ることになるのだろうと思いながら迎えた、お別れの朝。

数少ない親族が祖父のもとに集まって、祖父との思い出話に花を咲かせる……というよりは、どちらかというとどうでもいい雑談をしながら出棺までの時間を過ごしていました。

最後に、祖父の身体を拭いてやって見送り準備をしようという時。


なぜか急に、涙が止まらなくなりました。


なにか特別なことを思い出したわけでもなく、やっぱり祖父とのことは、ほとんどなにも思い出せない。

それがほんの少しだけ寂しいような気持ちとか、長年連れ添った夫に先立たれてしまった祖母はどんな気持ちなんだろうとか、長男である父はどんな感情で諸手続きをしているんだろうとか。

色々なことを一気に考えているうちに、「ああ、本当にお別れなんだな」と急に実感が湧いて、10個も年下の従兄弟にティッシュを差し出されながらボロボロ泣きました。

さっきまでケロっとしていたうえに、泣き始めるタイミングが奇妙すぎて、家族みんなギョッとした顔をしてた気がします。


その翌日は、祖父母の家で遺品整理。

祖母に判断を仰ぎながら、不要なものをどんどん処分していきました。

祖父の着ていたものとか勤めていたころの表彰状とか、「なんでこんなのあるん??」というようなものまで、なんでも貰ってくる祖父の持ち物は意外と多かったけど、祖母はそのほとんどを「本人がもういないのに、あってもしょうがない」と処分しました。

ゴミ袋をまとめながら、「本当に良いのかな……」と思ったけれど、祖母が要らないというなら要らないのでしょう。

祖父のものがそばにある方がかえって寂しさが増すものなのか、そういうわけではないのか、どんな感情で祖母が遺品整理をしていたのかは分かりません。


出棺の前後も、祖母が泣いている姿は見ませんでした。


それは前々から覚悟していたからなのか、数日のバタバタで実感が湧かないのか、本当に悲しいと涙も出ないものなのか、どんな心境なのかは私には分からない。

きっと、何十年も一緒にいた祖母にしか分からない感情があるのだろうし、たった28年しか生きていない私には想像もつかない感情なのだと思います。

今思えば、親戚の少ない私にとって、物心がついてから身内が亡くなるのは今回が初めてだったかもしれません。

そのせいか、自分の感情も分からず、周りの家族の心境も想像がつかないままに全部が終わってしまい、やっぱり今も私の中には名前の知らない感情がゆっくり巡っています。

不謹慎かもしれないけど、もし自分の父が亡くなったら、自分のパートナーが亡くなったら、私はどんな感情になるのだろう……と考えてしまったり。


生まれてきた命は、長かれ短かれいつか必ず終わるもの。


自分の人生が終わるとき、誰かの命が終わるときを身近に感じた数日間でした。

普通であれば「悔いなく生きようと思った」とか「周りの人をもっと大切にしようと思った」とか、きれいに締めくくるべきなんだろうけど、そういうのとはまた別の感情で脳みそが占拠されているので、これでおしまい。

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