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映画雑記(2021年上半期):去る者と残るもの

本稿は以下の映画作品のネタバレ(予告編やあらすじ以上の内容言及)をする可能性があります。ご注意ください。
該当タイトル:『ノマドランド』『ヤクザと家族 The Family』『砕け散るところを見せてあげる』『佐々木、イン、マイマイン』『くれなずめ』

劇場で新作映画を見る楽しみの一つに、無関係な作品から共通する要素を見出す遊びがあります。遊びです。公開時期が近いとはいえ個々の作品は製作期間が違うため、流行などを探れるわけでもありません。思い出作りですね。

たとえば2019年に公開された『アベンジャーズ/エンドゲーム』。2008年に始まった「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」22作目にして、一つの集大成となった映画です。すごい数字だ。
その横に並べたい作品が『X-MEN:ダーク・フェニックス』『スターウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』そして『ミスター・ガラス』。これらは全て「長期に渡り制作された英雄譚の完結作」であり、お察しのとおり同年に公開された作品でした。グランドクロスか? もっともMCUはまだ続いているわけですが。
作品数やら規模の差はありますが共通要素としては十分。ここから出演契約やら版権の都合を調べたり世界情勢を云々すれば、なぜ集中したのかという考察も出来るかも知れません。そういうのはそういうので遊べる人がやるでしょう。

私にとって重要なのは、これらの映画を近い時期に見たという体験だけです。強引に意味をこじつけるとすれば、近い要素を持つ作品それぞれの特徴を楽しむ、ということになると思います。公開が近ければ記憶も鮮明ですし、撮影技術や倫理観の程度も似通うので見比べやすいですね。

上では共通要素が明確かつそれぞれに大きく扱われる作品を挙げましたが、遊びだと分かって貰うためにもう一例挙げます。
上映は同じく2019年。並べるタイトルは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』『アス』『SHADOW/影武者』『影踏み」。見ていない分も入れちゃうと『ジェミニマン』も2019年でした。共通要素は「双子・ツイン・ダブルの仕掛けが登場する」です。

怪犬仮面にとり、重要な数字は、2、である。(古川日出男『ベルカ、吠えないのか?』)

一転してどうでもいい話になりました。ギミックの使い方に特色が、とかを言う気もなく、なんかいっぱい出てきたねーという思い出話でしかない。それにしても異常な頻度でした。自己同一性とか存在意義とかそういうなんかが世界的になんかだったのでは?

このくらいの温度です。念のため明記しておきますが、私は過去も今年も新作映画を網羅していません。たぶん一割も見てないはず。そのくらいの知識で雑に遊んでいることを了承ください。あと共通要素の見つかる作品以外にも面白い映画は山ほどありますし、共通していようがつまらない映画はつまらないです。

以上前提、以下本題。主旨は2021年上半期のケースです。

2021年上半期の映画の話

共通要素は「去る者と残るもの」です。

 ノマドランド

一人の人間の生きる実感を味わってしまう映画。派手な展開があるわけではなく、しかし決して地味な作品でもなく。太陽照らす大陸の自然を美しく撮影し、一方でそこに生きるノマドを礼賛はしないというバランスが良い。そして演技の説得力。
ストーリーはフィクション、しかし出演者の大半は実在のノマド、けど劇中人物の流転はやはりフィクションという虚実の積み重ねも楽しい。どう考えてもなんでもない場面(恐竜との記念写真)でうっかり泣いたりしました。謎の映画が表彰されるのは良いことだと思います。




 ヤクザと家族 The Famliy

120分で学ぶ現代ヤクザ。1999年、2005年、2019年──三つの時代を通して一人のヤクザを追う、手の込んだ作品。ぱっとしないタイトルの通り、劇中のヤクザはしみったれていてどうしようもなくて、中でも何歳を演じてもらしく見える綾野剛がとても良い。静岡県富士市周辺で撮影しながら富士山を映さない=彼らの視界には日の当たる頂点が存在しない、というロケ地配慮の再利用も熱かった(記憶違いではないと良いのですが)。




 砕け散るところを見せてあげる

キャラクター然とした台詞回しと生々しい学校生活の落差、そして颯爽と現れる堤真一。心がぐちゃぐちゃになります。なりました。
本筋からは外れますが、本作も『ヤクザ-』と同じく有効なロケ地配慮作品でした。撮影は長野県諏訪市。四方の山々と高低差(同原作者のアニメ『とらドラ!』の激坂を彷彿させる激階段)を存分に映しながら諏訪湖そのものは画面に現れず、それでいて水辺を思いっきり活用する。堤真一……。




 佐々木、イン、マイマイン

心の底を優しくさらうような快作。TLでフォロワーさんが言及されていたことから知り、何も調べずに見ました。

しみじみと良かった。特に難解な作品ではないのですが、この映画の話をするのはとても難しいです。頷くしかなかったので記事からまるっと引用しますが──

この映画を語ろうとする時、映画という以上に、自分の話をせざるを得ない構成になっているとも思う。

──なので。自分の人生に「佐々木」はいたか。そのとき「自分」は佐々木とどの距離にいたか。今はどうか。
それでいて感傷に浸り過ぎない明るさも良かった。一人の人間が両足で踏ん張る痛快な映画です。配信も始まっています。




 くれなずめ

今回挙げる中で一番最近見た作品。私は「笑える場面の積み重ねでそれどころじゃない熱さや悲しみを表現する映画」に弱いのですが、その脆弱性を突かれた気持ちです。好きになるしかない。
笑いながら泣いてしまった、というのが率直な感想ですが、特筆したいのは感情を揺さぶる緩急の巧みさです。あらすじだけを見るとあざとさが目立つ危うい映画なんですよね。「友人の結婚式で久しぶりに集まった帰宅部仲間6人」「披露宴の余興にかつての文化祭で披露した赤フンダンスを再演する」「ただし6人のうち1人はすでに死んでいる」……泣けるオチを押し付けてきそうだ……。
実際は、危惧するような嫌な感覚は無く、むしろ始まってすぐに「良い映画だな」と受け入れやすい作品でした。なにしろ同級生6人の会話が本当に、本当に良かった。自然体の楽しさに気持ちよく笑ってしまった。
あざとい設定も「死んだはずの1人が普通にいる」「本人も気付いている」「周りも気付いている」「消えない」「誰も消し方が分からない」「全然消えないので扱いが雑になる」と展開してしまえば、それはもうご機嫌なコメディで。笑いながら泣いちゃう。俺は制作陣の掌の上。舞台原作らしい胡乱パートも全然呑み込めます。




「去る者と残るもの」

さて、これらの良い映画に共通する要素が「去る者と残るもの」です。どの作品にも「去る者」がいて、あとに「残るもの」がありました。
『ノマドランド』で言えば流浪の生活や友人との別れ、そして主人公の決断。『ヤクザと家族 The Family』は綾野剛の周囲を流れる去就。『砕け散るところを見せてあげる』においてはまさにその帰結。『佐々木、イン、マイマイン』『くれなずめ』に至っては直球に「去る者」を想う物語です。見ていない範囲だと『あの頃。』もどうやらそれらしく、明らかに来ています。

あえて乱暴な書き方をしますが、「去る者と残るもの」という題材自体に新しさはありません。古今東西、死を扱う作品は多く(そうでもしないと怖すぎるので)、必然、「去る者と残るもの」は様々な形で描かれています。そうでなくとも人の生活は「去る者」「残る者」どちらかになることの繰り返しで、またその立場も見る位置によって変わるわけですから、共感性の強い題材であるとも言えそうです。
とはいえ主題とする作品が短期間に集中することはやはり珍しい。私の見た映画においては、という話なので実際珍しくなくても別に良いのですが、たぶん頻度も高いと思います。

となれば、映画が需要を見越して公開される商品である以上、「去る者と残るもの」の作品にゴーサインを出す判断があったはずです。近い時期に集中した理由をこじつけるとすればそのあたりになるでしょうか。世界的ななんかとか、映画文化を含め愛すべき色々へのダメージとか。ましてどの作品も本来の公開時期からはおそらくズレていると思われる情勢です。いま上映されている映画は、平時以上にタイミングを計られている。
などと思いを馳せるのもまた一つの観賞姿勢だと思います。紹介した映画はどれもおすすめです。

主旨は終わりです。2021上半期映画、「去る者と残るもの」が思い出深かった。

未来へ

さて近く公開される「それっぽい」映画に『Arc アーク』があります。

中国出身のSF作家ケン・リュウの短編小説を原作とする邦画。どういう経緯で制作されたんだろう。原作は一度読んだはずですが、うろおぼえも良いところなので読み返してから見ます。SFならではのカウンターを期待したくなりますが、どうか。

近い映画ばかりでは味がしなくなりそうなので、違う味も見ておきましょう。『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』『映画大好きポンポさん』『モータル・コンバット』とか……楽しみですね。以上です。

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