見出し画像

王、一頭・一機 #1

(2154字)

揺れながら進むロボの背中で微睡んでいると、警告もなしに振り落された。

俺はニシゴリラのソロモン、銀毛を背負っても腑抜けちゃいない。猫のように回転して四肢で着地し、暴徒の襲撃かと辺りを見回す。アスファルトの割れた十字路。四つ角の廃墟は死角だが動体の気配はない。

俺は毛深い拳でロボの硬い体を小突いた。物言わぬ相棒、万能荷物運びにして最良の寝床、四足歩行機械のロボ。首から先のない馬に似た輪郭と、曲がりくねった大きな字で「LOBO」と記された背中、それと赤十字のペイントだけが彼の自己紹介だった。人語向きの発声器官を持たないこと、それでも意志があることはゴリラも同じだ。

『本気か?』

俺はロボの全周カメラに手話を送った。ロボは飛行機のバンクのように体を揺らした。俺たちのほとんど同じ高さの視線は、道の先に寝転がる生物を捉えていた。

『OK、お前の趣味を尊重しよう』

それはかすかに息のあるヒトだった。

俺たちはその傍に行き、体を検分した。顔の輪郭を形成する人にしては濃い体毛からして男、壮年。胸の上下はただ道の真ん中で昼寝しているだけだと言うように安らかだが、男には左膝から先がなかった。大きすぎる傷口にあてがわれた布は赤を通り越してどす黒く染まり、止血の役割を放棄しつつある。

『こいつは――』

ロボに振り向いて手話を送ろうとしたとき、俺のこめかみに硬い物が押しあてられた。俺はチャーミングな唇をブブブと震わせてため息をついた。ぐるりと目を動かせば、付きつけられた銀色の拳銃と、その先で目と口を見開く男が見えた。

「……ご、ごり……?」

その掠れた声に俺が大きく頷いてやると、男は鯉のように口を開けたり閉めたりした。俺は最初に習った「私はソ・ロ・モ・ン。はじめまして」の手話を示し、その手で男の顎を優しく殴った。男は地面にも頭を打ち、白目をむいて気絶した。

今度はロボが俺の背中を軽く蹴った。

脚の傷自体は本物だった。最後の賭けとして目立つ道路の真ん中に出たのだろう。幸運を喜ぶ余裕はなさそうだが、息がある以上、負傷と手当てを受けそして見捨てられてから一時間と経っていないはずだ。

なんてな。

俺は医学に関して全くの素人で、ついでに言えばニシゴリラはヒトではない。検分はほとんど山勘、せいぜいが経験則だ。俺がごっこ遊びをしている間にロボは男のスキャンを手早く――”目”早く終え、腰らしき部分から角度を上げたアンテナで救命要請を飛ばした。ロボはその内容を語らないが、まあ俺が妄想したようなことだろうと思う。

アンテナを下ろしたロボは、右前肢だけを上げて地面を二度叩いた。彼が馬ならば人への要求を知らせる動作ということだが、”自律衛生兵”の尊大さは格が違う。ロボのこれは、”愚鈍な助手”であるところの俺に医療処置の代行開始を”許可する”サインだ。

この三日ですっかり慣れた俺はしずしずとロボの横腹に回り、鳥籠のようなケージ装甲に掛かった赤十字付きのリュックサックを漁った。男が生きようと死のうとゴリラの腹は膨れないが、友情もお兄さんに教わったものの一つだった。

赤いラベルの貼られたスプレー缶を取り出し、ロボに見せると、さっきよりそっけないバンクが返ってきた。俺は男の膝にスプレーを向け、乳白色の血液凝固剤を塗布した。

「かっ」

目を見開いた男の叫び声はそう聞こえた。意味をなしていないのは俺のリスニング能力のせいではないはずだが、ともかくその感情は痛いほど想像できた。男はまたしても口をパクパクさせながら首を振り、俺と目を合わせ、そしてやはり気絶した。

『どういたしまして』

俺はおざなりな手話を形作った。

男の衣服は砂ぼこりになじむカーキ色、王国陸軍歩兵の戦闘服だった。単純に考えればそのままの所属ということになるが、一兵卒にしては歳を取りすぎている気がした。装備を奪った民兵かもしれない。

五日前、麻薬漬けの連中が動物園で自爆を果たした瞬間から俺の世界は変わった。もしその仲間だとすれば、俺はこの男にどんなお礼をしてやるべきだろうか。声を上げることもなく影の向こうに消えたヒトの子たちのために、のたうち回る火達磨として末期の数秒を終えた飼育員のお兄さんのために、生き残ったゴリラは何ができるだろうか。

俺は思考を弄びながらスプレー缶をリュックサックに戻した。ロボが呼んだ救助ヘリが、すでに地平線の上に見えていた。

巨大なヘリは梟のように、こちらの脳が混乱するほど静かに接近し、着陸した。やはり恐ろしく静かに開いたハッチからは、ロボに上半身だけの人形を乗せたような機械が現れた。弓を持っていないことを除けば、星座の本で見たケンタウロスに似ていなくもなかった。

地面に降り立ったケンタウロスはまずロボと数秒間向き合い、そして無言で男を拾い上げ背に乗せてヘリに戻った。ヘリが着地してから飛び立つまで一分と掛からなかった。ケンタウロスは最初から最後まで、ロボの隣でドライマンゴーの甘さを楽しむゴリラなど存在しないかのように振舞った。ただ一点、銀色に輝くミルクタンクを残していったことを除いて。

俺はロボからコップを取り外し、早速一杯ついで呷った。成分無調整牛乳だった。人に代わって戦場に立つ機械どもが俺をどうしたいのかは知らないが、味の分かる連中であることは確かだった。 【続く】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?