アール・ブリュットについて考えるために⑤:映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」

 良い題材だとは思うけど、退屈なドキュメンタリーであった。写真に興味があってこれを面白いと思う人には大変申し訳ないけど、僕は飽きが来てしまった。
 というのも、故人の思い出話が淡々と語られるのみで、そのライフストーリーが写真作品とどのように有機的な繋がりをみせるのか、というようなところまで話が及ばない。ヘンリー・ダーガーほどの特異な人生ならともかく、この程度の「変わり者」ではわざわざ「ドキュメンタリー映画」として何事かを語るほどの魅力は持ちえないだろう。それならば、このような昔話は繰り広げるべきではないし、また発見者自身が言及しているように故人が望むべくもないプライヴェートの暴露にどれほどの意義があるのだろうか。 つまり、写真作品それ自体の美学的価値と、作者の人生-人格の持つ物語とが、ここにあっては「たいして関係ない」ということでしかないのではないか。アール・ブリュットの諸作品が示している、例えば作者の「障害」が「作品」そのものと(つねにではないが)切り離せない関係を持っているようなものではさらさらないということだ。ヴィヴィアン・マイヤーの写真は、写真芸術としてはそれこそきわめて「正統的」であるし、だからこの映画ではもっと写真それ自体と向き合うべきだったろうし、その美学的価値から語ることでしか何も始まらないだろう。だって、この程度の「変わり者」なんて「芸術家」としては「普通のこと」でしかないでしょ?とも思うのだ。アール・ブリュットこそ最高、というわけでは全くないけれど、以上が僕がこの映画をつまらないと思った理由である。

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