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我を失くしたい。

最近読んだ本に共通して似たようなことが書かれていて、全てがグサグサと心に刺さった。

「自分らしさはいらない」

「自分という概念がなくなったときにとても良いものができる」

「うまく人に伝えられない人は『自分が自分が病』にかかっている」

という言葉だ。

「私って自分のことばっかりだな。自己顕示欲すごいな。」

と少し恥ずかしくなり、過去の自分の行動を思い返してお腹のあたりがヒュンッとした。


かつて、大勢の前で話さなければいけない時、

「恥ずかしい失敗をしないようにしなくちゃ」

「頭の悪そうな話し方はできないな」

と、明らかに「自分が自分が病」にかかっていた。

「どう話したら相手に伝わるだろう」

「どういう話をしたらここに来てくれた人たちに意味があると思ってもらえるだろう」

という、一番大切なことに頭が回っていなかった。

目の前の人たちは私のことを「好き」とは思わないにしても、「敵」とは思っていないのに、自分の見られ方ばかりに気を取られていて、今になって思うと本当に恥ずかしい。

「自分が恥をかかないように」という、どうでもいいことにばかり目がいってしまって、全然周りを見る余裕がなかった。

自分のことでいっぱいいっぱいで、過呼吸のように苦しかった記憶がある。

***

また、「自分らしさ」を追い求めるあまり、変な言動をしてしまうときもあった。

思い返すと、本当にどうかしていたと思うが、私は奇を衒うような行動や発言ばかりしていた気持ちの悪い女子大生だった。

思い出すだけでふとんをかぶって
「ひあああああーーーー!!!!」
と叫びたくなる。

「自分らしさ」というものは作ろうと思うものでも探すものでもなくて、
色んな人や事に興味を持って、耳を傾け、目を開き、吸収することで、出来上がるもので、自分で分かるものじゃなくて、人から見て分かるものだろうなあ、と思う。

就職活動で、「自己PR」を求められるが、嬉々として自己PRをすることもなんだか気持ち悪いなと思う。

「私はこういう人間です」と胸を張って言えることが何か違うような気がしてしまうのは私だけだろうか。

***

そういえば、自分が「素敵だな」と思う人は大抵自分のことよりも他の人やものに興味を持っている気がする。

また、自分をどう見せたいか、相手にどう思われたいかには関心がなく、自分が楽しみたいことを楽しみ、好きなことを好きだと言っていて、「相手が楽しめているだろうか」「不便に感じていないだろうか」等相手のことを思いやる気持ちが強い人が多い。

そういう人は
「何が大切か、今、何をすべきか」
ということに集中して行動できる人だ。

思考もとてもシンプルだ。
シンプルだからこそ私には難しい。
難しいけどそういう生き方にとても憧れる。

***

「自分が自分が病」に絶賛罹患中の私だが、逆に、「私」という概念が失くなった瞬間を味わったこともある。

2年前に伊勢神宮で小鼓を打ったとき、ギャラリーがたくさんいて、雨もかなり降っていたけれど、無音に感じた。

「次は何を打つんだっけ?」

「ちゃんといい音出せるかな?」

「次から戦いのシーンだから荒ぶって打とうか」

など、何も考えることなく、自分が自然の一部になったようにするすると演奏ができた。

自分の中を綺麗な水が流れていくような感覚があり

「ああ、ずっとこうしていたい」

と思った。

不思議なその体験を先生に話したら

「それはね、すごく集中できたってことですよ」

と教えてくださった。

それ以降、その感覚を味わったことが無いのでもう一度経験したくてたまらない。

***

こうやって文章を書いては公開していること自体、承認欲求の現れとも言えるけど、下手でも評価をされなくても、文章を書くことは自分の考えの整理にもなるし、人からもらえるコメントに色々と気付かせてもらえるので、これだけはやめたくない。

続けたい。

これ以外は少しずつ自分を失くしていけたら、と思う。

#自分らしさはいらない #日記 #エッセイ #自己顕示欲 #承認欲求