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コンプレックスと個性

 I AM JAPANESE
コルテッツのヒールに刻まれたこのワード。ぼくは日本人です。
 
NIKEには対象のシューズをカスタマイズできるサービスがある。
色はもちろんシューズの素材も選べ、自分で選んだ文字入れも可能で、世界に一足しかない自分だけのシューズを作ることができる。今はNIKE BY YOU、当時はNIKE IDという名前で行われていたサービスでオーダーしたコルテッツ。
ブルーとイエロー、レッドというド派手なカラーリングだが、コルテッツなので意外にうるさくない。タンの部分には日本国旗の日の丸がデザインされ、ヒール部分には「I AM JAPANESE」と刺繍が入っている、自分が日本人であるという主張をこれでもかと詰め込んだ一足だ。
 
このスニーカーにまつわるエピソード。
 
遡ること幼少期。大体小学生くらい。ぼくは当時から目鼻立ちがはっきりとしており、エスニックな顔をしていた。
さらに華奢な体付きをしていたこともあって、そのせいで同級生や上級生からは
「アジア!タイ!マレーシア!インド!カンボジア!中東!」とよくからかわれていた。

人一倍繊細でデリケートだったぼくは、このことでよく悩んだ。
「アジア!タイ!」そう言われるたびに悲しい気持ちになり、この顔でぼくを人生という果てしない大海原に放り出した神様を恨んだ。

なんで父も母も日本人で、生粋の日本人であるぼくが、海外出身者かのように扱われ、からかわれなければいけないのか。
いつもモヤモヤと憤りを感じていた。いっそのこと東南アジアのどこかの国で産声を挙げられたらなんの違和感もなかったのに。

当時からそんなエスニックフェイスをしていて、
突然変異で純ジャパのような顔立ちに変わっていくわけもなく、
ぼくはいろいろな葛藤を抱えたまま思春期を過ごした。
「ハーフじゃないんですか?」という質問はされすぎてもう聞き飽きた。
聞かれるたびにまたかよと思い、心を無にして純ジャパですと答えた。
そんな顔してるのにパクチー嫌いなの?と聞かれ、うるさい!嫌いだわ!と心の中でツッコミを入れた。
 
だいぶ長いこと繰り返しそうやっていじられてきたにも関わらず、
しばらくそう言われることを嫌がってきたぼくだったが、あるときようやく諦めがついた。
 

きっかけはタイ人の友人の元に旅行に行ったときである。繰り返すが地元に里帰りしたわけではない。
友人の名前はPloy(プロイ)。

プロイとはアメリカ留学時に出会った。タイの裕福な家の出で、プロイの家には家族の身の回りのお世話をするお手伝いさんが常時おり、家にはベンツやトヨタのランドクルーザーなど高級車が計5台横並びで駐車されている。大きな家には客間もあり、滞在期間中はそこに宿泊した。出かけるときはお抱えのドライバーさんが目的地まで送ってくれて、いろいろな意味で至れり尽くせりであった。
遠路はるばるやってきた日本人の若者への歓迎と、おもてなし精神をこれでもかというくらい感じた。
 
滞在中はいろいろなところに連れて行ってもらったが、その中のひとつにバンコクの寺院があった。
一般的なタイの寺院は、タイ国籍を持っていると入場が無料なのだが、海外からの観光客は入場料を払う。
入り口で財布を用意しお金を払うつもりでいたぼくだったが、おじさんはプロイたちと歩くぼくにコップンカーと手を合わせて挨拶し、
後方の西洋人と思われる観光客に声をかけ入場料を徴収している。

おかしいな。そう思いながら中途半端な足取りでこれはどうするべきか悩んでいると、
プロイは笑いをこらえながら寺院の中にはやく入ってこいと手招きしている。

しばらく複雑な気持ちが交錯したが、頑なだったぼくの純ジャパマインドが消えてなくなったのはそのときだ。
ぼくはタイ人にタイ人認定されたのだ。お寺に顔パスである。ぼくはタイ人にもタイ人に見えるらしい。
そうなるともう逆に気持ちいい。
 
その一件があってから、ぼくはコンプレックスだった自分の容姿をある意味個性だと考えられるようになった。
 
写真のコルテッツは、この話をおもしろがった友人が、卒業祝いでプレゼントしてくれたもので、以来海外に行くときは必ず連れて行くスニーカーである。
このスニーカーを履くのを楽しみに旅行しているところもある。
おそらく誰も見ていない&気にかけていないが、ぼくは日本人だとさりげなく主張しているのだ。
タイのお寺顔パス経験を経て今は見た目なんてどうでもよくなったが、
自分のルーツは東南アジアではなく、日本であるとわかってもらうために。

※東南アジアの人も国々も大好きです。めっちゃ繰り返し旅行行ってます。

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