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「お先にどうぞ」を言えるひとでいたい

東京に住んでいると、心の余裕を保つことが難しい。
例えば、スマホで調べた乗り換え時刻通りに電車に乗ろうと、あと数分待てばまた電車は来るのに、小走りで改札を通ったとき。
前を歩くサラリーマンの歩く速度が遅くて、苛立ってしまったとき。
はっとする。ちょっと待てよ、と。どうしてこんなに、心の余裕がないのだろう、と。そして少し馬鹿らしくなってくる。
毎朝、電車が遅延しても余裕を持てるよう、早く出勤している。たとえ一本や二本あとの電車に乗っても、始業時間には十分間に合うほどだ。だけど、「いつも通り」に動きたくて、いつもと違うことが起こると途端にパニックになる。周りのことなんて頭になく、自分さえ時間通りに目的地に着けばいい、なんて思う。時間を気にしすぎて、心の余裕なんて持てたものじゃない。
前を歩くサラリーマンの歩く速度が遅くたって、別にどうってことはない。はずなのに、なぜか一分一秒でも早く目的地に着きたいと思ってしまって、時計をチラチラ、早く追い越せないかイライラしてしまう。
こうやって、勝手にストレスを増やしてしまっている。そしてふと我に返ったとき、イライラしていた自分が、少し馬鹿らしく思えてくる。

そんなとき、小走りでなんとか電車に乗るのではなく、「あと5分なんて余裕よ」と、ゆっくり歩いて次の電車を待ってみる。最寄駅でドアが開き、我こそはと出ていく人たちに、「お先にどうぞ」という気持ちで、道をあける。流れる人々の波の中、競争のように我こそはとエスカレーターに乗っていく人たちに、「お先にどうぞ」とまた順番を譲ってみる。
心に余裕をもつことは、とても大事だ。余裕がないと、すごくシンプルで、簡単なはずの「待つ」ことに対する耐性が本当になくなる。東京にいると、変わったばかりの赤信号を1分待つだとか、そんな少しの余裕をもつことさえも、少し難しい。なぜだか急ぎたくなって、我こそはと自分が前に出すぎてしまう。分刻みでスケジュールを立てて、急かされるように移動していく。それをずっと毎日繰り返していたら、そりゃあ眉間にしわを寄せたまま、駅を大股で歩くことにもなるだろう。

たまには時計なんて見ないで、周りの人に「お先にどうぞ」と言える余裕を持ちたいと思う。スマホを見ながら早足で歩いて、ぶつかってきそうになった人を、笑顔で許せる、そんな余裕を持ちたい。
そんな少しの余裕を持てた日は、いつもよりうんと、気分がいいものだ。

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