見出し画像

言葉にしたいんだ、


手をつないで同じ場所、
目指せていたらいいな、
きっともっと、ずっと先、
答えがあると信じて誓い合おう。





もう生きていたくない、消えてしまいたいと思う夜を何度も乗り越えてこれたのは、彼らの歌が、彼らの笑いがあったから。
ずっとずっと、わたしの心の中で大事にしているものを、言葉にしてみようと思う。



わたしが大好きな”彼”は昔から変わってなくて、無限大の優しさでみんなのことを和ませてきたから、みんながいつも集まってくるような太陽みたいなオレンジ色の人。本当に人の心を傷つけることが大嫌いでみんなに笑っていてほしいという想いがいつもヒシヒシと伝わってくるような人。






わたしは、大学に最後まで馴染めなくて大っ嫌いだった。
意外って言われることもあるけど、大学で新しく出来た友達なんてわたしの思い違いでなければ一人もいない。大学に通いながら、ずっと中高に戻りたいと何度も願っていた。




大学2回生からみんなと距離をとるようになって、うまくリア充出来ない自分とリア充してる周りとの比較に疲れ果てたし、可愛い子が優先されるサークル活動とやらにも疲れてすぐ辞めてしまった。
“顔面至上主義”の大学では自分の顔が可愛くないことを、まじまじ思い知らされた日々で、どんどん自信がなくなっていった。ぐっちゃぐちゃに顔面を引き裂いてやりたい、と泣きながら思う夜もあった。



ほとんど授業も一人で受けていたし、見つからないようにわざとみんなを避けてたそんな弱い奴でした。
教職をとってたからみんなと時間割がズレたことがわたしの唯一の救いだった。
大学で得たものは、教員免許くらい。
自己肯定感、自信、異性との接し方、そのあたりは全てボロボロと喪失していった。




それでも大学を辞められるわけがなくて、そうなると大好きな彼らがほんとにわたしが生きている理由だった。
そのために大学行って単位とって、バイトして、コンサートに行って。
お昼休みは人のいない教室を探すことが得意になって、図書館にわざと籠ることもあったし、本が大好きだったから気づけば2時間くらいいて、そのまま寝てたこともあったっけ。



お金がもっともっと欲しくてバイトを3つかけもちしていた時もあって、しんどくて駅のホームの椅子で倒れ込んで、おじさんに大丈夫ですか?と声をかけられたこともある。今となっては笑い話だ。
彼らのコンサートに行きたいっていうそれだけで全てが動いてたから、彼らがいなければただの引きこもりだったと思うし、大学を辞めていたかもしれない。



 


唯一、わたしが大学時代に自分の心が動いて、人に好意を持ったことがあったけれど、
受け取ってもらえなかったこともあって、
現実世界で人のことを好きになることも、更に怖くなった。受け取ってもらえないなら、最初から受け取るはずのない人のことを好きになる方が、傷付かずにすむ、と。
こんな、どうしようもないわたしが好意を寄せてごめんなさい、とただただ謝りたかった。






コンサート会場のペンライトの海に溺れてると自分が生きてるんだって一番感じた。わたし、ここにいるよ、って。いつも、大きくペンライトを振った。
たくさんのペンライトの一人だとしても、彼らがわたしという個体を認識することはももちろんないけれど、それが心地よかった。




わたしの一方的な好意は、彼らには”応援”という形で届いたし、受け入れてもらえたから。
発売日にCDを買いに行ってカップリングまで聞いて、握手会に行って、イベントに行って。



コンサートで紙にファンサービスしてほしいことを書くと、彼は見つけるたびにしてくれたし、わたしの心はそれで満たされて、なんとか生きていたと思う。ファンサービスしてもらえることを、わたしの中では優しさだと変換していた。今思えば、ズタボロな心で毎日を生きていたから人から優しくされたくて仕方なかったんだと思う。
もう一度ファンサービスがほしい、また彼に会いたい、だから生きていたと言っても過言ではないような、今振り返るとボロボロの心でなんとか毎日生活していたねと、よしよししてあげたい。






早く大きな会場で出来るようになりますように、と願っていたくせに彼らがどんどん大きくなっていくのが辛いと感じたり、彼らはどんどん前進してるのに自分は何一つ前に進んでない気がして遠くなった気がして見るだけで辛かったときもあった。
でも、そんなわたしのどうしようもない感情全部助けてくれてたのもやっぱり彼らだったわけで。





たくさんの思い出があるけれど、はじめての野外コンサートは思い出深い。
社会人2年目の夏。なんとか、やっと仕事に慣れてきた頃で、それでもミスばかり、人間関係もうまくいかなくて落ち込みまくっていた。



久しぶりに高校の時から彼らを一緒に応援していたお友達と参加して、途中から涙が止まらなかった。
1000人の会場も埋められなかった彼らがこんな広い野外で出来るなんて誰一人想像してなかったこと。
晴れた空に花火があがって、昔の大好きな曲を歌ってくれて、本当によくここまで連れて来てくれてありがとうって思えば思うほど涙がとまらなかった。
弱くてちっぽけなわたしには、彼らがただただ希望だった。花火のすすが、Tシャツについて真っ黒になって、友達と泣きながら笑った。






”彼”こと”丸山くん”の一番好きなところは昔から変わってなくて、あの笑顔とたくさんの種類の優しさをみんなに分けてあげられるところ。その反面、とても人間らしくて落ち込みやすいところ。そして意外と泣かないところ。みんなが泣いても絶対に丸山くんだけは泣かないのすごいな、って尊敬してたから。
いつの日か、みんなが泣いたらファンの子には泣き顔の僕しか残らないから出来るだけ笑顔でいたいって言っていたことも忘れない。
だから、わたしもいつもギリギリまで泣きたくなっても、泣くのを我慢した。






ずっと、ずっと、彼らのことを記事に落とし込みたかった。
追いかけていたあの頃は、
今考えるとズタボロで、あまり思い出したくもないし、振り返ることは苦痛が伴う部分もあるけれど、その節々に関ジャニ∞があって、わたしは本当になんとか生きてこれた。





みなさんには、これがあったから生きてこれたものがありますか?
わたしは”関ジャニ∞”だけは、胸を張って言えます。ありがとう、の一言に尽きます。





もう、あの頃の熱量で彼らを追いかけたりはできないけれど、8人も7人も6人も5人も、どの彼らもわたしは大好きで、どうかこれからもわたしの光であって欲しい。
丸山くんには、ずっとずっと笑っていてほしい。涙は似合わないから笑っていてほしい。







今日は泣いたって、泣いたって、
「いつか笑えるはず」そう言って
空見上げて、手を広げて 
明日の自分を準備して
せめて、もう一回、もう一回、
君がくれた笑顔で笑いたい
まだまだ終わらないから






まだまだ、終わらないよね。







でも、生まれ変わるなら北川景子の顔で、サークルに入って、ミスコンみたいなのに出てミスをとってモテて、リア充女子の仲間入りしてみたいわ!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?