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ながらの流儀

ちょっとしたパンフレットを制作中。

アフターファイブにどれだけ気合をいれようとも、一週間の間にできることは限られている。しかし、そこをどうにかこうにかやりくりするのが大人ってもんなんですか?どうなんですか?と自問自答する日々である。

家に帰って作業をしようと思っても、なかなか思ったようにすすまない。飯を食い、テレビやなんかをだらだら見ていると気づけば時間は過ぎているものだ。しかし、時間のかかる細かい作業なんかの場合は、テレビやラジオつけたりなんかしながら行うことも多い。

ただそこには、ちょっとした“ながらの流儀”が存在する。

パンフレットなどのデザイン関係の作業の場合、制作中は耳が空いている。当然だが、音楽を作ったりする時には、音を扱ってるわけだから、ヘッドホンなり、スピーカーなりで、作っている音を確認しながら作業を進めていく。デザインの場合は、それがない。

NHKに受信料を払うものの、引っ越してからEテレがつかないことがありブチ切れているTVラヴァーの私は、やはり何をするにもテレビはついていてほしい。音楽作業の場合も実はテレビをつけていて、“消音”状態で、字幕を表示するスタイルをとっている。

ただこれはあまり効率が良いとは言えない。ベースのフレーズなんかを考えていると、スキル面の問題でやりたいフレーズが弾けないことがある。試行錯誤しながらベースを弾き続けるわけだが、気づけば楽曲の検討ではなく、ストイックなベーストレーニングの時間がスタートしていることはしばしばだ。

そんなときには“消音”でついている「今夜くらべてみました」の字幕に目は捕えられながら、ヘッドホンからは自分が弾いているベースの音が流れてきているという状態に知らぬ間に移行していしまっている。頭も楽曲のことはすっかり置き去りで、指原のビジュアルは自分にとってかわいいのか、そうではないのか。高校の時のかわいい友達に似ているような気もするが、果たして…。気づけばその辺りの問答にまで思考は及んでいくという塩梅だ。

ただ、さすがにラジオと音楽制作は相性が悪すぎる。それは無理だ。

ヘッドホンからは作っている音、スピーカーからはラジオ(三四郎のオールナイトニッポンゼロ)という離れ業にもこともトライしてみたこともあるが、さすがにラジオの内容はまったくわからなかったし、途中からラジオをつけていることも忘れていた。

その点、デザインの作業はラジオを聞きながらできるので良い。

昨日は、幸せがあふれて止まらない「不毛な議論」を聞きながら作業を進めていた。幸せがとまらない山ちゃんの様子を聞き、笑みがこぼれた。しかし、なんだろうか。祝福の気持ちの一方で、なんとも言えない気持ちで満たされ、一呼吸おくこととなった。

radikoプレミアム会員といえども、タイムフリーで聞けるのは一週間。本日水曜日は「不毛な議論」の放送日であるから、最後まで聞こうとするなら今夜が最後だろう。しかし、この気持ちのバランスの取り方の指南を仰ごうとするならば、一度オードリーのオールナイトニッポンを挟まざるを得ないだろう。この葛藤は、きっと山ちゃんもわかってくれるはずだ。

さて、なにを聞こうかなあ。今夜はパンフレットを仕上げよう。

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