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久しぶりに適当に日頃の雑感をつらつら書いてみようか。

気がつけばもう今年も半年の月日が経ってしまった。
2024年も相変わらずの超スピードで基本もう付いて行けてないのが実情。
年々歳を取る度にこの感覚がググッと身近に感じてしまい今更焦りはしないけど、ぼんやりと考えていた未来の絵空事が本当に絵空事になってしまうんじゃないのか?という変な不安感はあれど、まぁ今の自分はオマケの人生という立ち位置なので基本そこまで多くを望んでないし、不満もそれほど抱えてはない。
満足をガッツリしてるわけじゃ決してないけど、ほぼほぼ「まぁ良いか」というとりあえずの納得をしている自分が居るのでここでもし死んだとしても「仕方ないか」と気持ちを整理出来る心の余白はまだある。
所詮人間は欲深くて「これ手に入ればまたあれ欲しくなりあれ叶えばそれ欲しくなる」という欲望まみれの欲しがりのケダモノなので、全ての個人的な望みなんてものは100%叶う事なんてない。
それを普通にわかってるからね。
まぁこの世の中で言う「成功」とか「勝利」とか「栄光」とか「幸せ」なんてものは側から見たら全然叶ってない、寧ろ「負け犬」とか「落伍者」とか「敗北者」とか後ろ指刺されて馬鹿にされるのが関の山なクソダセェ人生でしか無いのです。
が、こんなうだつの上がらねえボンクラにしちゃまだ夢見がちで自由に伸び伸びやらせてもらっているという今の怠惰な生き方も色んな人に甘やかされて生きてる幸せを噛み締めてるのみなのでまぁ「御の字なんじゃね?」と笑う位しても良いと思えるのだ。
幸せの形は人それぞれ。
望みの大きさも人それぞれ。
金もなく、女もなく、成功も、栄光もない。
それでも笑える事は出来る。
もう慣れました。馬鹿にされる事すらも。
笑うなら笑え。

ある評論家が、朝ドラの展開に納得いかねえと不満垂れ流していたけど、所詮ドラマは絵空事でしかないのに、そこにリアルがどうのこうのや何かを持ち込んで「嘘っぽい」や「人間の感情的に納得が」とか言ってたけど、イマイチその怒りの理由を聞いても全く納得出来ないという久しぶりの感覚になった。
ドラマというフォーマットにした時点でもうそれは「IF」の世界でモデルにしてる人は居ても名前を変えてる時点で別人でドラマというのは現実とは違うから、老若男女が見るものなので、わかりやすさが求められる。しかも時間的制約も求められる。それまで
の流れもかなり漫画的なのに今更そこの展開で納得いかないやリアリティがなんて言葉悪く言えば「チャンチャラおかしい」。
所詮漫画だ。ドラマは。
理想をごっそり入れ込むのがドラマなのだと思う。そんなにリアリティを求めるならドキュメンタリーを見れば良い。でもドキュメンタリー映画やドラマでも演出があって現実とは乖離してる。
人間は欲深くて自分の思いが正義だと思いがちだから文句があって良いとは思うけど、その怒りの矛先にはあまり納得出来なかった。
俺は基本冷めてるのか、ドラマはドラマ。絵空事で理想論で凝り固まってて良いと思ってる。そんな自分でも「それは無いよ」と思う事はある。
けど所詮自分自身間違いだらけな人間の正義感とか感情なんてろくなもんじゃない。
なので最近は批判する事の意味に何も無いと思う様になった。
自分のエゴを他人に押し付ける事の意味、醜態が恥ずかしい。
まぁ評論家なんて職業の腹黒さは今に始まった事でも無いし、因果な職業であるのは周知の事実なので、そのキャラつけで言わざるを得ない悲しさに同情すら感じてしまった。
最近「この自分のエゴを他人に押し付ける感想という感情の醜悪さ」にちょっとお腹いっぱいになってるので人間って嫌だなぁと思いを新たにしてしまった出来事でした。

ここ最近、この持て余し気味の「欲望」って奴の存在に辟易してしまってる。
女とSEXしたいと言う性欲。
モノが欲しいという物欲。
だれかを支配下に置きたいという征服欲。
やりたくないというのも欲。
死にたいというのも欲。
生きたい食べたい飲みたい住みたい。
たいたいたいたいたい。
欲望がなきゃ人間は多分生きる事もしないしやれない。
でもその欲望の為に、イジメはなくならないし、犯罪は無くならないし、戦争はなくならない。
欲望ってなんなんだ?
毒にも得にも徳にも解くにも、なる。
何なんだろう?
いつもこんな事考えて居るから碌な生き方できないんだろうな。
楽になるのも欲望か。
俺は今日も欲望を持て余してる。
笑うなら笑え。

最愛の人が消えてまた2年目の夏が来る。
貴方の期待とは乖離したまま今日もおめおめと生きている。
相変わらず日々生きてる瞬間に話したい場面に貴方は居ないという現実にハッとさせられて寂しさとかが未だに降って来る情け無い状況である訳だけど、こんな自分でも慣れという状態にはなる様で貴方の事が居ない生活が当たり前になりつつある。
あの時、2年前の夏の日。
たわいのない会話の中に出てきた未来にしたい事のあれやこれやは今何処にも行けずにあの瞬間にとどまったまんまなのだろうか?
それは余りにも不憫すぎやしないのだろうか?
答える声も姿も仕草もない。
今日もクソ暑い。
空気も霞んで揺らめいている。
貴方が居たら嘆いて居るに違い無い。
だから貴方は涼しい天国にいられていいとおもうよ。
天国が涼しい場所かは知らないけど。
まぁ心配しないでね。
ぼちぼち何とかやってます。
心配事はまだあるけど貴方がくれたおまけの人生。
より良く笑っていける様にこれでも足掻いて抗ってるから。
もうちょっとこの腐り切った世界で冒険するから。
まだ会わないよ。
恥ずかしい欲望も体験したいからね。
まぁ笑って死ぬ為にやるだけやってみるよ。
この前家の周りの草も掃除した。
どう?いい感じだろ?
また手紙書くかな。
とりあえず今日は、このくらいにしておくよ。
またね。


大して事件もないし、楽しい事も無いけど。
新しいチャレンジも何気に始まるし、やる気はなくは無い。

そんな感じで生きてます。

オチもなくこの駄文は終わる。

以上。

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