仕事について

「退職した」と聞くと「働かないの?」と聞かれる。
「働かない。税金を納めたくないから」と応える。
1万円働けば、5千円は税金で取られて、そのなかからアメリカ製のポンコツ兵器を買わされる。
五公五民の税率と現政権が税の分配を担う限り、退職金が尽きるまでは所得税が発生するような賃金労働はしないつもり。

納税は憲法に定められた国民の義務だけれど、それは(自民党の裏金のように脱税をせずに)納税する義務であって、少しでも多くの税金を払う努力義務が国民に課せられているわけではない。
生活のためにはその5千円がどうしても必要で、そのために1万円を稼がなくてはならない多くの人は気の毒だし、心から同情する。

勤労の義務(も憲法に定められてる)から逃げているつもりもない。
賃金労働=仕事と思っている人には理解しがたいかもしれないけれど、工業高校で習った「仕事」とは「物体の重さ×移動距離」。
「公園社会論」で詳述したけれど、法人という遊具に飽きた個人(老人)にとっては、すべての行動が社会という公園のための行為にしかならない。自分の銀行口座の残高を増やすためではなくて、社会のために働くことこそが本来の労働であると考えている。(※1)

そう考えるとなんのことはない、これまで賃金労働の合間に時間と労力を投下してきた社会活動(※2)こそが、これからの自分の仕事になるってわけ。
わくわくしかない。



※1 労働がその神聖さを失い変質していくプロセスをマックス・ウェーバーが、変質した労働が革命に至る必然性をマルクスが書いたのだと理解しております。

※2 社会活動といってもデモや抗議集会に行ったり告発したりといった狭義の政治活動だけじゃなくて、文章を書いたり歌を歌ったり誰かの投稿に「いいね」をつけたりU字溝を片付けたりなどなどなど、「政治は生活」くらい広義のそれです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?