かいてどうにかするしかない__1_

[交換note企画]生かされた、について考えてみたら気がついた。

昨夜ツイッターで
交換ノートがしたいなーと呟いたら、
即座にDMをくれたひでさんと
こんな遊びにお付き合いいただきました。

早速もらったのが、こちら。

貰ったnoteからは 忘れていた記憶が蘇った。
やっぱりこういうことってある。
誰かの言葉で内部に水が湧き、
見過ごせないほど大きくなってしまう。

もうこれはわたしの、生かされた しか
ちょっと返せないと おもってしまった。
そうしなくては、無礼のような気さえして。
色々と地雷を踏みそうな領域だけど
この面で、チャレンジしたい。怖いなぁ。

でもこれはわたしの話で、事実だ。
このポンコツは そこがデタラメなのが難点だ。
今はここでしか切れない。


◆◆

生かされた、という言葉を
ここ数ヶ月話した人の中では
4人から聞いたことがあって、今日また聞いた。

その言葉のニュアンスをどう扱うかは
その人の体験次第で どうにでも転ぶようだった。

以前に聞いたその4人は 交通事故に遭い
奇跡的にかすり傷で済んだ話の中で
笑い興奮しつつ 使っていた。


むかし自分が使った 生かされた とは
大きくニュアンスが違って驚いた。
同じようで、まったく違う。

笑いながら話せる 生かされた

ちょっと人前で出しにくい 生かされた


◆◆


笑いながら話せる方は
胞状奇胎の治療完治後に ようやく出た。

もう1つの方は どうなってもいいと思っていたのに
のうのうと 二十歳の誕生日を迎えたときだ。

完全に、取り残された。
正直に言って、そこまで生きる予定はなかった。

前者と後者で違うのは なんだろうか。

生きることへの未練なのか。
未練があれば 生かされたと 私も笑えるのだろうか。


◆◆


胞状奇胎の治療中、わたしは たしかに
子どもを置いては まだいけないとおもった。

ただ残念ながら、このポンコツの中には
いけるもんならいってしまいたい刹那志向が
ほんのりと 影の中に漂っていた。


たぶん、流産だったのがいけない。
命を失いながら 生き延びたから、
余計に 無いものを 追い求めてしまったのだろう。
シンプルに、悲しすぎたのだとおもう。
心が 止まってしまい 白旗を上げた。

でも子どもが面会に来て、
帰らねば絶対に何としても と思えたのは
生きることへの未練としては もうこれ以上ない。


引き留めてくれた存在に
白旗を下げただけ わたしなりによくやった。

だから、出たのか。生かされたと言えた。


◆◆


かたや、人に隠したい生かされた感覚は虚無に近い。
困惑に似ているかもしれない。

二十歳は、生きてしまった、ここまで と
いう感覚で迎えた。なぜいまここにいるのか。

それは、有金 全て 使い果たしたのに
明日から即仕事だと 職人だらけのタコ部屋に
ひとり放り込まれてしまったような感覚だ。

部屋の外では 電気代の集金が ドアを叩くのに
払える小銭さえ 持ってない。
まだ、出勤先さえ知らない。
どうしたらいいの、これから。

準備も、何もしてないのに
突然、真面目な職人だらけの中で
同じスタートを切らねばならない現実に 戸惑った。

簡単に置いていかれてしまう。 掴めもしない。
こんなことならもっと本を読んでおけばよかった。
そう言いたいのに 声が出ない。

だけど、生きねばならないのだ。
それをどうすることもできず、
とりあえずは受け入れたようでそうではなかった



22歳で 闇に堕ちた
突然誰にも会えなくなった。怖くて

家から一歩も出れない。
TUTAYAにDVDを借りた自分を恨んだ。
怖くて真夜中だれもいない道を二駅分歩き
店内に入るのに1時間以上かかった。

帰ってきてからの記憶はない。

下宿先に実家から母がきてくれて
一緒の布団で寝たことは覚えている。



幸運なことに、あの心境は
2週間もしないうちに 収束した。

過ぎてみれば なぜ と思うような体験だったが
もう二度と感じたくないほど 怖かった。

出口も入口もない闇だった。
ただのラッキーだと真剣に思う。


今にして思えば、それは生かされたのだろう。

そうか、わたしは あそこでも 生かされていたのか。

あの時、母がずっといてくれた。
色々と恨み辛みを抱えた 小娘だったのだが
わたしは 母と同じ布団でなら 眠れた。

そうか、母がいたからなのか。

それを何年も経ってから 今知った気がする。


◆◆


未練を持てること自体が、
すでに ハードルが高い話 のような気がする。
だって、それは それまでに宝物を拾った人だけが
言える
ことだと おもうから。

未練のおかげで 生に縋ることができる のだとしたら
あの時のわたしの未練は なんだったのだろう。
未練じゃないのか。

違うのかもしれない。


捨ててもいい自分を
引き留めてくれる人がいる その事実そのもの
生に縋らせてくれたのかもしれない。


縋るのにもパワーが要るのだ。
疲弊してしまえばもう そんなパワーさえない。
縋れなくなる。


だけど居てくれたのだ。
母も、あのとき連絡をくれた友人たちも。
誰とも話せなかった間、携帯が鳴るのを見た。

わたしに関係のない話をするSNSからも
居てくれた人たちとの出来事を回想した。
すると、少しだけ晴れるのだ。
闇を忘れさせてくれる。

居てくれた。
わたしの存在に対する証言者が。


悲しい出来事しか思い浮かばない闇に囚われた。
捨てたい自分の在籍期間に
わたしが存在したことを証言してくれたのは
携帯に入っている連絡先一覧や
SNSのタイムラインだった。

居てくれたのだ
そんな自分とでも。
そこで一瞬でも楽しく笑っていた自分は
たしかに存在したのだ。

その事実が 蘇らせてくれたのかもしれない。
今初めて気がついた気がする。


生き延びるため、闇から蘇ったと言える気がする。

闇は深い。深くて何も見えない。何もない。
光がないと錯覚する。
錯覚してしまう自分を 責めたって仕方ない。
事実見えないのに。
だけど、錯覚は 錯覚以外の 何でもない。
それは 自分が捻じ曲げた幻想だ。

あのときの 母の温もり も SNS も、
自分で 承認する行為 だったのだ。
証言者の声を。既成事実を 積み上げたことを。

だれか、居てくれたことを。あの自分と。
そっちのじぶんを思い出す行為だったのだろう。


◆◆

なるほど。
そうか、そういうことか。

ひでさん、ありがとうございます。
おかげで、すごいことに気がつきました。

わたしも生き延びたようです。知らない間に。
生き延びるために 生き延びたようです。

生き延びてて よかったです。
こういう日もあるんですね。


◆反省◆

使い果たしてしまったので
どこの面で書くかは調整しないと持たない
とおもいました。まる。

交換note企画に、もしお付き合いいただける
ようでしたら ぜひともご連絡ください。

最大2往復出来たらとおもいますが、
どんな内容で振って貰っても大丈夫ですが
お返事によっては使い果たすかもしれないので
1か2以内でお返事します。
特に期限や条件もまったくありません。

書かれたものから
インスピレーションで好きに書いてもらう。
それを読んで、また思う事をツラツラと書く。
ただ書きたいだけなんですよね。

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