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甘酸っぱいぶどう

書いても書いても闇しか出ないと、信頼する20近く上の年齢の 師匠同志友人に嘆いた。

彼女は、そんなもんよ、と笑った、いや爆笑した。

それでも書きたいし、書いたら自分の吐瀉物に残念な想いしかないのに、それでも書きたい。と無念の思いを話すと、

それが貴女だから。仕方ないわよ。

と、また笑った。



そんな彼女とは例の5年前に知り合い、
あの頃見えていなかったものが今は見えてることに
わたしは少し安堵している。


例のその時期は、親の鬱が悪化し
自営の家業が あわや倒産目前まで追い込まれた。

年下の兄弟たちは我関せずと言った風情で
まあそうなるのも
彼らが同じ土壌で育った同じ根同士であり、
わたしが双葉であったときに新芽だった頃から
知っている者としては、心底納得し理解できるため
なにも言えなかった。

その時勤めていた会社では
勤務時間内に終わらぬ範囲の仕事に疲弊していた。
社員の続々の退職と引き継ぎに追われ
かつ事業予算の都合がグループトップのさじ加減で
コロコロと変わった。
多くの人を見送り、また彼らには不憫なという
眼差しで見送られた。

自分の給料の5倍はある、ひとの会社の予算を使い
また大手ポータルサイトのトップに掲載されるべく
勤務時間外で大量に文字を輩出していた。

心身、時間ともに
外の世界へ費やすばかりの日々だった。

もう辞めよう。と思うのに
それらを見渡す位置にいることに
奇妙な責務を感じ、離れる事はできないでいた。


それらがようやく、収束ではなく、日々の運行中の
車窓の一つ一つとなる頃、
わたしは第二子を授かり、流産、そして胞状奇胎という病までを経験することとなった。


それはその頃唯一、自分の内側で起きた出来事だった。


起きてしまえば全てがそこに持っていかれた。
仕事も家族も友達も、わたしを取り巻く全てを
置き去りにする特急列車に乗ってしまった。
乗車した幸せ行きの特急は
知らぬうちに目的地を変えていた。
何度もシビアな駅を通過し
次はもう駅はないとアナウンスがあった。
次は、もう、あの穴の中なのだそうだ。


わたしは子どもというのは、
体外でわたしを翻弄する存在だと
思い違いをしていたのだと知った。


イノチを舐めていた。
それは生まれるのと同じ力でわたしを蝕んだ。
しかしそれはわたしの子どもだった。
わたしの愛しい、わたしに悪阻をもってして
様々な欲求を伝え
わずか8週間で7ヶ月の胎児と同じ大きさになった
早すぎた命の、子どもだった。

わたしが彼女に付けた名前を、長子は決して呼ばず、ネボスケ、と名付けていた。
その名の通り、寝たまま起きず、否、寝たまま生きた。その手段が胞状奇胎だった。

胎児が引き起こす妊娠由来の癌である。
ブドウっ子とも呼ばれ、
圧倒的な生命力で増殖し続けリンパに乗って
母体の隅々にまで住み着き抱きつく甘えん坊の赤子。

その子に抱かれ、死に向かうとは、こんなにもゆっくりと体が動かなくなるのかと知った。
掴むこと触ることすら出来ない。
抱くことも乳を飲ませることも叶わない。


わたしの願いはただ一つだけだった。
たったひとつ。
寝ても覚めても、

あなたに一目だけでいいから会いたい

会わせてほしい。
抱かせてほしい。
その肌に触れさせて、顔を見せて、わたしに見せて。
会いたい。


全身麻酔のその時、
産婦人科ではいくつもの、誕生を叫ぶ
歓喜の声が聞こえていた。
なのにわたしの子どもは取り除かれてしまうのだ。
そんな馬鹿な話があるか。
おまえはわたしの子ども。
わたしの子どもをこの世に産まずに
わたしは一体なんのために生きていたというの。
このからだは。これまでの時間は。
これまでの全てが。


その想いは、数値という形でわたしに残った。
いつまでも下がらないその数字の知らせが来るたび、の恐ろしさとの深さに震え浸った。


最後の手術の説明のとき、わたしは看護師の、
説明が一言もつかめず、涙が決壊した。

どうして、ここにいるのかわかりません。
なにをしたらいいのかわかりません。
なのにみんなが優しくて、教えてくれますが、わたしの耳に入りません。
わたしは赤ちゃんを産むはずだったのに。
なぜ。


わたしは特急列車に乗るだけ。
たくさんの人に線路の切り替えボタンを押してもらい
手術台に登った。

真上に見えた天井のライトを見つめながら願った。


「ここでもう最後だから、会いに行くね。」


ライトの光は徐々に大きくなり
わたしを飲み込んだ。
網膜が光しか捉えられなくなり
いつのまにか白につつまれた。


わたしはライトの中に入ったのだが、
そこはわたしの子宮のようだった。

なんということか、賑やかなお囃子や合唱が聞こえ、ピンク色の優しい色に包まれた
あたたかな美しいところだったと知って、驚いた。

そこは楕円状の球体で、中央には襞のついた木の幹ようなところがあり、その襞の一段ごとに、たくさんの出店が立ち並んでいた。
どこかのアニメ映画の影響かもしれぬ。
人でないもの、動物や見えぬものたちが店主を務め、美味しいものや楽しくて美しい、この世ならぬものものを売っていた。いや、ここに経済はない。
だれもがいつでも得られるようにと配備されていた。


わたしは空を飛び回り、探し回った。
あの子はどこにいる。
飛び回るわたしの背中に何かがいたけど、
それはあの子ではない。
ここのどこかにいる。いましかもう会えない。


しかし、眼に映る全ての場所のどこにも、いない。
もういない。
もぬけの殻の、残された時間遅れの祭りの後だった。
形跡のひとつもない。


楕円の下方が大きくひらいて、金具が出てきた。
わたしはその吸引力にあがらえず、吸われ出されてしまう。待ってまだ会ってない。声とともにわたしは出され、またライトの中から、自分に帰ってきてしまった。天井にはあのライト。


麻酔のせいか、夢だったのか妄想なのか、なんなのか、現実だったとしか思えないリアリティに、わたしは数字を口ずさみ確認した。
1、2、3、、、、
ギョッとした顔の担当医が部屋から出て行くのを眺めながら。



あそこに、いたの。よかった。

あの子のいたところが、あんなにも美しく賑やかで楽しいところだったなんて、知らなかった。


わたしは守っていたのだ。
外の世界のどの闇もここに持ち込むことなく、わたしは守っていた。守れていた。


会えなかった。
だけどあそこにいた、と教えてもらったようだった。

ここにいたんだ、楽しかった。
ねえ見て見て、スゴイんだから!

そんな声をきっと聞いていたから
わたしはあそこへ連れていかれたのだ。


わたしは泣いた。涙が出て止まらなかった。止める気も流す気もなにもない。目を閉じて、愛している、と抱きしめた。

愛してる。愛してる。愛してる。愛してやまない、わたしの可愛い可愛いわたしの子よ。

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