見出し画像

深夜の駅前にいた、帰宅困難者。

「あなた、この光をみて何を思うの?
わたしはね、ご飯のことばかり。」

そう話すのは30代の女性でした。小さな子どもがいるのかなとおもうような顔つきをしてして、染めていない髪を1つに縛っています。

黒いジャンパーコートのような大きな上着とジーンズ、その足元には、、、うーん、長いこと使い込んだとみられる、元の色がわからないスニーカー。

薬指の指輪に、すっぴんは童顔で、黒目がちの目だけを見れば、まだ結婚して日が浅いだろうに。なぜこんな夜更けに駅前のバス通りを1人で歩いているのでしょう。

暖かな布団の中で、幼い子と眠る選択肢も、あった、いや、この人にはあるはずなのに。
なぜそんなに、顔に暗い影があるのでしょうか。
訳を聞いてみたくて、そばに寄ってみました。

この人も、最初から、わたしの顔を見る気はないようです。


「ねえ、あのLEDの連なりを見て、あなたどう思う?
ここを通る人たちは、見向きもしない人や、立ち止まって見つめる人がいたわ。

わたしね、ああ幸せなんだなって、思った。光を見て喜んだり、当たり前だと思って歩くことができて。それが当然の人たちなんだわ。あの人たち。

わたしは、今夜、いえ夕方ですよね、みなさんには。わたし6時には、いつものように夕飯の準備をしてました。馬鹿みたいに。当たり前みたいに。

わたし、駄目なの。そうしていれば、あの人がまた、ご飯、食べるようになるなんて、思ってるの。

……違うわ。

あの人が帰ってきても、また前のように普通の生活みたいに、そこにご飯があれば、また夕飯を食べて、普通に、普通にしてくれるって思ってました。

だけどねぇ
だけどさあ
もう駄目なんだって、もう食べないの。もうわたしのご飯食べないの、あの人…

あの人、いつも、女と食べてくるの。

わたしの洗った下着をきて、わたしの洗った靴下で、わたしの用意したワイシャツで、あの人、別の女と会ってたんだって

わたしの作ったご飯、食べてた時から…

朝帰りしてお風呂に入らないのおかしいと思ったこと、何回もあったわ。わたしわかってた。すぐにわかったの。

あの人が最初に女に会いに行ったのは9/15です。

だってその日、台風が来て、わたし子どもと外を眺めてSNSに投稿したんです。『パパ帰れるかな』って。あははは

あは、

……あの次の日に、いつもの髪の匂いと違う匂いがしたの。ねえ、すぐわかるのね。もうずっとわかってた…

だけどね、わたしはそんなこと絶対に外に出さなかった。親にも、ママ友にも、誰にも、そんな匂い少しも出さなかった…

あの日ね。

わたし、子どもの成長がゆっくりねって、言われた。若い女の看護士。何も知らない顔してね。妊娠線もない身体してるのよ。わたしあんた何様なのって思ったわ。わかる訳ないじゃない。産んでもない女に。なによ!なんのつもりなの。

あんたにそんなこと言われなくてもわたしだってわかってた。でもそれも、朝帰りばかりする夫と、家にわたしと2人きりの生活でね、無理よ。無理じゃない。わたしが悪いの?わたしのことをよくもそんな風に見て、何様なの。

わたし子ども連れてすぐ帰ろうとした。でもなんなのかしらね。間違えたんだわ。それが返って、良くなかったのよ。わたし、たぶんバレたんだって思った。夫が女に逢いにいってる妻なんだって。バレたのよ。だからあんなこと言ったんだわ。

カマかけたのね。わたしに。

あの人、ずっともう、なにも言わない…
もう興味ないのよ。わたしにも、子どもにも。

でも誰にも見せなかった。わたし。だって不憫じゃない。あの子、まだ1歳なのに。親が浮気してるって思われて育つの。

そんなことさせないわ。

そんなことさせない。

ああ、今日、寒いわ。突然寒くなるのね。

わたし、必ず夕飯を作るのよ。3人分。なんだか、、陰膳ってこういうこと?ああ、夫の分?子どもの食事が終わったら、捨てるわ。全部。子どものいないところでね、捨てるの。洗い物だけ残して、朝になって、洗うの。

わたしねえ、絶対に決めてるの。『またパパ、夜食べて、お皿洗わないで行っちゃうんだから』って、言うの。

聞いてるわよ。子どもだって。

わたし、洗いものしてる間は、あの子が泣いても何しても、何もしないことにしてるの。だって、覚えてられるじゃない。あんなに泣いたのに、お母さん、お父さんのお皿洗ってたんだって。

お父さんがね、あの子の中に入っていくのよ。いいでしょ。絶対に忘れないわよね。

あはははは

ここ、大量のLEDを使って……木のすべての枝にまとわりつけてる。


わたし、前は、

あんな風に電気の通ったLEDを見て、綺麗だって思ってた。

もうないわ。なにも。大変よね、業者さんも、毎年毎年。ああでも、それが仕事なのよ…別の意味で喜んでるのよね。

ふふっ
わたし、あの豆電球の粒なんて見ても、何も思わない。

わたしの夕飯作りと一緒なんだもん…

意味のない皿の上の食べ物。意味のない時間。なんの甲斐もない…

わかってる…
もうわかってる…

いいのよ。意味なんてなくていいの。思っていたいの。なにも、悪いことなんて、ひとつもしてないでしょう?わたし。

ただ明かりを点けて消して点けて消して。

そんなの、ここの電気代と同じじゃない。


……何時なのかしら。終電も終わったのね…
なんのためにまだ明かりを点けてるのかしらね、ここ。

え?
子ども?

ああ、たぶん大丈夫。
いまあの人、家にいるから。

もう一緒に居られないのよ。わたしもうずっと、あの人が帰ってきた夜は、こうしてる。最近よく帰ってくるわ。
昨日までそんなに寒くなかったけど、今日は寒いわ。でもいいの。辛いくらいの方が、意味があるのよ…

ずっと、光を見てるとね、目が乾いて涙が出てくるの。あ涙かなって思うと、おかしいんだけどねえ、本当に涙が出てくるの。だけどすぐ乾くから、ちょうどいいのよ…わたしには…

帰ったら、もうあの人はいないのよ。また、お皿、洗わなきゃ。

ねえ、あなた、もう帰ってくれる?」



帰ってくれる?が、帰らないでくれる?に、聞こえたわたしは耳がおかしかったのかもしれません。そんなわけ無い、とも思うのに。

隣で、わたしもイルミネーションを見つめました。たしかに涙が出てきて、ぽろぽろ、長いこと泣きました。

ふと、この人は迎えを待ってる気がしました。本当に、寒い方がいいのでしょう。

人と人が一緒にいるとき、どうしても行き交わせない時があるのを、わたしにも身に覚えがあります。
誰もいない駅前で光を放つイルミネーションに、この人が貰っているのは、心の底で諦め切れない光なのかもしれません。

わたしは、望みすぎかもしれないけど、あなたには、体温の高い子どもと、子どもの側で眠るというその人が待っている布団の中で、泣いて欲しいです。泣いてください。
あなたが食事を作れるお金を稼ぎ、あなたに温かな布団を用意したその人が、あなたに残したものまで、あなたが嫌う必要なんてない。間違いだなんて、思わないで。どうか。

可愛そうだなんて、思わないで、もう十分じゃないですか。

まだ、2人が眠るという温かな布団が、あなたの帰り道にありませんか。今はまだ、そこがあるのだという事実を、少しずつ、紡いでいけませんか。

その光を糸に変え、紡ぐ力が湧くまでは、ここにいましょうよ。帰り道を見失わないように、わたしと、ここで。

でも、ひとつも言葉に、なりません。

滲んだイルミネーションは、更に美しく、何倍にも大きく、見えました。

「意味がない…」

その人がそう呟きました。わたしは思わず、もしあなたが本当に帰りたいなら、あなたは帰れるんじゃないですか、と言っていました。

「……もう少し、いるわ」

ようやく目が合いました。ああきっとこの人は、まだ家に帰れる人なんでしょう。今日でなくても。

わたしはたぶん、今夜は朝までここにいて、今度の夜の約束をしてから帰ります。まだ帰り道が、あるみたいなんです。それも、すぐ近くに。