見出し画像

まさかの初記事がコロナウイルスのお話になるとは…

世界が恐怖という見えない空気に包まれています。
ウィルス自体も見えませんが、人々に漂う「恐怖」という空気も見えません。
でも日々は過ごしていかなければならないのが日常です。
そこで思うことを綴ります。

既に情報過多になっていて、人間の処理能力を超えていると思います。
そうなると自分が同調しやすい、あるいは不安の解消をするための穴埋め作業で、批判的な意見に乗りやすくなっていきます。
とは言っても、絶対的にフェアなニュースは少なく、知見の薄いコンメントが飛び交い、乗っかってしまう。
散々煽った挙句、バラエティやドラマのオンパレードで思考の揺さぶりが激しすぎて疲れる毎日。
だいたいこんな感じではないでしょうか、最近の日常は。
本当であれば、一日中ちゃんとしたニュースが流れている局があっても良いですし、コロナ以外の世界の動向も知らなければならない程、いろいろな事が日々起きているのですから。
コロナと同じくらい危険な状況にある事が伝えられていない恐怖の方が厳しいです。
中東情勢、北朝鮮情勢、ベイルートのデフォルト、赤ちゃん工場の摘発…などなど。

情報は驚くくらい溢れすぎているのですが、それは根拠に乏しい私見ばかりで、本当のニュースソースが絶対量足らないという危機感もあります。
なので、ウィルスの及ぼす影響などの専門性を有する発信は僕には出来ないですし、正確な情報を持ちえていない、一般のニュースソースレベルでの情報取得しか出来ていない医師等も、公の場(ネット上)での発言は控えるべきかと。
と言うのも、医者によって「マスクは要らない」「いや、無いより有った方がいい」と見解が別れていて、その断片の情報だけを見た人たちは、「どっちが正しいの?」となる。当然疑心暗鬼になるので、血眼になって探すわけです。とにかく本当にわからなくなっていく情報過多と偏りが危険です。

また不平不満を煽ることでの同調で視聴率を取ろうとするテレビの思うつぼにハマリ、さらに判断力と冷静さを欠いていく負のスパイラルに陥る方向に行っています。
自分もそこにハマりましたから…^^;
しかし誰も本当のことはわかっていないから世界中で大騒ぎになっている事を考えれば、今は一度冷静に客観視するのが良いと思います。
だって素人がいくら調べたところで、ネットから拾ってくる無責任な情報源がせいぜいであって、真偽が定かでないものが多いのですから、自分自身を疲れさせるだけですね。

そしてその恐怖心が差別に繋がっていくことも理解しておいた方が良いと思います。
それが感染してしまった方々への差別の目となってしまうのだと思います。
誰も悪くないのに、悪いことをしたわけでもないのに、自分の恐怖心や勝手な優位性(自分は罹ってない)から。
これは本当に自分ごとで考えたいものです。
これこそ明日は我が身と思えば、いつその立場になるかもわからず、当事者になった時に辛い思いをしないためにも。

経済損失が幾らとかの試算も出始めて来て、一説では4兆円などと言われてますが、Apple社一社の純利益(552.5億 USドル・2019年9月期)の7割くらいと思えば、やりようがあるかと。
節税で海外に利益還流していた所からしっかり出させるとか、究極はこれこそSDGs的考え方で、企業群での一部を拠出しあうとか。
そんなことが出来る企業こそ、本当の一流企業だと思いますし、カッコイイと思います。
だってノートルダム寺院の復興などには想像もつかないくらいの寄付を申し出た企業もあることですから。
もしくは起債でも良いかと。
無駄な箱物の積み上げ等で毎年赤字国債を数十兆円発行しているなら、4兆円はそんなに高くないと思います。
今国民が冷静さを保てないのは、自分に降りかかる病気という恐怖と、先の見えない恐怖の連鎖が起きているからです。
「4兆円、わかった、国が責任持ちます」
これだけでいいのでは?
だったら辛いけども家にいましょう!ですよね…。
そうしたら感染の広がりは止められます。

買い溜めを「良くない!」と簡単にコメントしている方々も多くいますが、その行動に出なければならないマインドも理解しなければ、何がいけないのかの本質をロスしてしまいます。
転売屋や便乗値上げをするような輩以外の一般の方々は、良くないのはわかっていても、そうせざる負えない環境があるからその行動が起こるわけです。
例えばマスクも、無いから必死に探し、それにつけ込む転売屋や便乗値上げ業者が現れ、それに対して怒りのエネルギーを蔓延させてしまい、それが恐怖にも繋がり、また必死になって探す。
そのようにさせてしまう背景には、「自己責任」を求められる時代だからこその行動なわけです。
上っ面だけの「良くない」連呼をしたとして、それは「わかってはいるけど…」になってしまい、個人レベルの行動は制限できないのです。
その背景には先が見ない恐怖があるからです。
「良くない」の連呼を市民に向けても、人々に負のマインドを埋め込むだけで改善には繋がらないと思います。
向ける先が違っているようにしか見えません。

一方、台湾ではマスクのコントロールをちゃんと国が責任をもって行っていることで、マスクを必死に探し回る必要もなければ、マインドの安心レベルを一段上げられているのです。
要は、セーフティネットがハッキリ見えていれば、混乱は起こらず、本来しなければならない対策にも専念できるのです。
「マスク、国で管理して、皆さんに配給します」
これで良いですよね…。

こういう時こそ、もの凄く「シンプル」に考えてアクションを起こせば、意外に腑に落ちる解決方法が見えてくるはずです。

こう書けば、お役人辺りからは「そんなに単純じゃない!」と言われそうですが、物事を複雑にしているのはあなたたちでは…と。
だってマスクは台湾で好事例があるじゃないですか。
でも、一言付け加えておきます。
役所の方々でも最前線で頑張っている方々がたくさんいて、必死に対応していますし、それに対しては敬意しかありません。
現場が一番大変なのです。

整理して、今わかっている事は、

①治療薬がない
②高齢者、既存疾患を持っている方々の重症化率が高い
③世界中に広がっている

こんな感じかと。
だから怖くなるのです。

でも、致死率を小数点の違いで他の疾患と比べあったところで、個人レベルではどうしようもないですよね。
罹るか、重篤になるか、これは個人差でしかなく、運の話のレベルかもしれません。
市中感染が始まってしまった今となっては、その次に何をするべきを考えた方が良いと思います。

では、今向かっていかなければならないゴールは何か?

「感染を広げない」

これしか無いはずです。

マスクを無意味というドクターたちも散見しますが、だったら何で治療中に必要なのですか?と問いたくなりますよね。
無いよりかは有った方が良い場合は、事の重大さから判断して、有った方が良い方向にリードして行かなければダメだと思います。
無くても同じと言い放ってしまえば、それを聞いている人たちはリスクをリスクと認識しなくなります。
テレビのコメンテーターの中にも、マスクをしても意味がないからする必要はない、と言い切る人たちもいますが、そのような中で若者に行動を控えて、と言っても届かないですよね。
だって、マスクをしても無駄と言われ、若者は重症化しないと言われたら、いつもと変わらぬ同じ行動になりますから。
それで若者は…と言っても、それは大人たちの責任転嫁にしか過ぎないです。
とは言いつつ、マスクはもう手に入らないし…。
もともと手元にあったものが尽きたらそれでオシマイ。
薬屋なんだから、と言われる方もいますが、特別扱いではないのです。
そこはフェアに…笑

今大事なのは、高齢者や既存疾患のある方々に移さない事です。
そのための行動制限をしましょう!ということです。
自分がキャリアにならないようにすることが大切です。
当然、制限されることで不平不満、不安は出てきます。
でも、それを乗り越えなければ、もっと大変なことになると僕は思っています。

ただここまで書くと誤解も生じるので、このことだけはお伝えします。
サージカルマスクが本当に必要なところは、医療従事者や障害・介護サポートをされている方々です。
我々は待ちましょう。
いまのところの情報では、飛沫感染と接触感染がルートになっているようなので、それを極力注意すればリスクは軽減できます。
また過剰に閉じこもるのではなく、外の空気は新鮮ですから、プラプラするのもいいでしょうし。
無意味にマスクを外して、外の空気を吸いながら散歩もしてます。

この先の恐怖は、ウィルスの怖さよりも人の怖さが際立つかもしれません。
今、一番怖いは「人間」です。
本能とは別の「意志」や「思考」を持ち得ているからです。
時にそれは殺し合いすら起こしてしまう。
でもそこに「理性」が加われば、話をすることの大切さを思い出させてくれる。
人としての行動をどうするべきかを、押し付けられるのではなく、自分たちで「意志」と「理性」を持って立ち向かうしかないと思います。
自分も含めて、人はこれから学ぶでしょう。
時間とともに忘れてしまうかもしれませんが、無駄なことではないと思います。
少なくとも人間として何が必要なのかは気づくかもしれませんから。

長崎の被爆者の方々のアーカイブ製作で教えてもらったことは、「受け入れる」ことの大切さと言いますか。
苦難も受け入れ、でも恨むことなく事実を受け入れ生きてきた。
そして乗り越えてきて今がある。

そのようなことを思いながら、これから数ヶ月、一番必要とされるのは「優しさ」だと思います。
経済やお金の価値が優先され、人々が隠してしまった「優しさ」を取り戻す機会かもしれません。
人に、自分に、動物に、そして自然にも。
いずれウィルスは封じ込められ、日常が戻るはずです。
その時に人を恨み合う世の中であってほしくないものです。

複雑化している社会だからこそ、シンプルに見つめ直すことが大切だと思います。
この苦難の先には、生き方のベクトルが変わるかもしれません。
価値観も変わるかもしれません。
行動にまでは結びつかなくても、自分の人生を考えなおす方は増えると思います。
それは素晴らしいことだと思います。
金太郎飴の社会が、飴のバラエティーセットに変われるのであれば。
それが多様性のある社会の始まりですから、それは良いことが起こると思って乗り切りましょう。
これを乗り切らなければ、色んな味の飴を舐められないですから…笑


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?