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父の在宅介護の記録

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2019年から2020年に、膵臓癌で闘病中だった父の在宅介護をしていた時の記事です。
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#在宅介護

膵臓癌父の介護中に読んで励まされた樹木希林さんの本~どうぞ、物事を面白く受け取って愉快に生きて。

すい臓癌で闘病していた父を介護していたとき、本屋で見つけてふと手にした本があります。 「樹木希林 120の遺言」です。 「遺言」という文言にひかれ、パラパラとページをめくってみると止まらなくなり、購入。 それまで知りませんでしたが、樹木希林さんは父と同じく1943年生まれで、2018年9月に癌で亡くなりました。 その希林さんの、過去の発言をまとめた本です。(とにかくかっこいい!) 癌で亡くなった樹木希林さんの名言たち私が付箋を貼った箇所を、書き留めておこうと思います

日本に帰国中 膵臓癌で亡くなった父との思い出の場所は、パリでもオペラでもない

父は、11月に膵臓癌を再発し、12月にもうこれ以上できる治療がなくなってしまい、緩和ケア病棟にうつるか家に帰るか、という状態になりました。 ここで、ほんとに勝手にさっさと年明けに退院することに決め、バタバタと(バタバタしたのは周りの人間たち。父はぐったりと)退院してきました。 当時は知らなかったけど、「為さざる罪」は彼の座右の銘であって、私の座右の銘ではない!ぶつぶつ。 介護って、自分がやることになるとは、これっぽちも想像してませんでしたが、きれいごとではない。 とに

日本に帰国中 膵臓癌父が再入院&容態が変化してしまった昨日の出来事

11月に膵臓癌が再発し、入院してしばし治療していた父が、残念ながらもう治療がなくなり、1月8日に退院してきました。 しばし、低位安定していた父の容態が、変化してしまいました。 ドレーンチューブに不具合が出てきて、痛みが発生ここ1、2週間、腸液を体外に出していたドレーンチューブの周りから、かなりの量の腸液が漏れ出てきてしまうようになっていました。 ガーゼに漏れ出した腸液が、チューブを通すために開けている穴に触れていたため、穴の周りが炎症を起こしてしまい、「痛い痛い」と言い

大雪ホワイトデーに亡くなった父。在宅介護生活していて驚いたこと

すい臓癌で闘病中だった父が、ついに、3月14日ホワイトデーに亡くなりました。 あり得ない暖冬で、一度もセーターを着ることもない中、突然、東京に雪が降りました。 (寒い寒い雪の日で、「まきの涙か、と思った」と、いつも気にかけてくれていた先輩からメッセージをもらいました。) 父は結構急に脈が弱くなってしまい、病院から連絡を受けて駆けつけましたが、最期には間に合いませんでした。幸い、痛みなく、眠るように、息を引き取ったと看護師さんに言われたのが、救い。 さらに、父の「ねー、僕

膵臓癌で亡くなった父は、おしゃれだったのかー

すい臓癌で3月14日に亡くなった父について、書こうと思います。 何気に「おしゃれ」だったことについて。 遺影を、妹の結婚式のときの、にっこり笑顔の写真にしたんですが、改めてみて見ると、なんともかわいいピンクの蝶ネクタイをしている! これは、妹がハワイでお土産に買ってきたものらしい。 (全然知らなかった・・) 写真の背景を選べたんですが、菜の花の写真をチョイスし、黄色とピンクがなんとも春っぽい。 このにっこり遺影のおかげなのかなんなのか、告別式も、なんかほんわり雰囲気

膵臓癌で亡くなった父は、最期まで仕切り屋だった

ブログを読んでくれてるあっこさんから、「お父さんかっこいいね」とメッセージをもらいました。 たしかにかっこいい面もありましたが、とにかく仕切り屋で、しつこいという面も持ち合わせていました。 今回は、いくつかそんなエピソードを思い出してみます。 旅行のときのホテルは勝手に自分好みを手配して、娘に振込指示を出す父父とは、何度か一緒に旅行に行きましたが、まずはホテルへのこだわりが強く、大きくてゴージャスなホテルを好みました。 妹と私の、「こじんまりとしたホテルがいい」という

日本に帰国中 膵臓癌父の介護の合間に、インド研究を始めました

1月8日に膵臓癌で入院していた父が、なんとか無事に退院してきました! 身体は、癌のせいというより、食べられなくなってしまったせいで体力がものすごく衰えてしまっています。 歩けないどころか、痩せてしまったために、車椅子に座っているのも辛い状態。 さらに、実家で一緒に暮らす母も私も、介護はまったくもってやったことがないし、猫はいだらけ不安だらけ。 病院で、至れり尽くせりお世話をしてくれてた看護師さんの姿をぼーっと見ながら、「本当に看護師さんって仕事はすごいわねー。頭が上が

インド映画「ガンジー」と「ミルカ」おすすめ

父の介護のあいまに、インドの映画を、パソコンで見始めました。 今まで、映画は映画館かテレビで見る派だったので、パソコンじゃ画面がちっちゃすぎるだろーという先入観で、映画を見ることがなかったのですが、楽しめるもんですね。 よく考えてみると、飛行機ではあんなちっちゃな画面で映画見るけど、楽しめてるんですよね~。(気づくの遅すぎ) アマゾンプライムで見られる、インド系の映画を見ました~アマゾンプライムで見られる、インドに関わりのある映画をチョイス。 まずは、はい、「ガンジー」

インドの宝らしいアーミル・カーンの映画「きっと、うまくいく」最高

ここ数日間、家で介護中のすい臓癌の父が、お腹の痛みが続いているので、毎日通ってるヨガとか行かずにずっと家にいました。 痛み止めを飲むと、薬が効いている間は痛みは治まるようなので、ほっ。 さて、気晴らし、何しようか。 私が寝ている部屋(もろ仏間)にも、なんやかんやと物が増えてきてしまったため、整理整頓しよう。 段ボールで本箱を作って(って、箱に、どっかの店の緑色の包装紙をちょろっと貼っただけ)本を立てておいたり、着ない洋服をこっそり母のクローゼットに突っ込んだり。 結構

日本に帰国中 膵臓癌父の介護生活ってこんな感じ(午前編)

11月に膵臓癌が再発し、入院してしばし治療していた父が、残念ながらもう治療がなくなり、退院してきてから、今日で47日目。 毎日、夜寝る前に、1日に何したか&感想をメモしてます。 今、見直してみると、「へー、こんなことしてたんだー。」「え、こんな感想書いてる。いいこと言ってるじゃん!」みたいな、かなり遠い日のような気分。 まとめてブログに書こう書こうと思いつつ、先延ばしにしてきました。 まとめないで、とりあえず、昨日、ぞろめ(令和2年2月22日)に何をしたか、書いておく

日本に帰国中 膵臓癌父の介護生活ってこんな感じ(午後編)

11月に膵臓癌が再発し、入院してしばし治療していた父が、残念ながらもう治療がなくなり、退院してきてから、今日で47日目。 午前編に続き、午後の生活は、こんな感じでしたー。 今日の生活(=生きるための活動)夜ご飯まで編13時に、訪問看護師さんが来られました。 今週は、毎日来てもらってます。 先週までは、月曜、火曜、金曜に看護師さん、木曜にお医者さんに定期的に来てもらっていました。 先週、腸液を体外に出すための管を通すための穴の周りが炎症を起こし、激痛発生。 夜中に緊

膵臓癌の父への感謝&思い出ノート作成プロジェクト

11月に膵臓癌が再発した父が、病院での治療がなくなり、1月8日になんとか退院してきました。 そもそも、12月19日に日本に帰国するチケットを取っていたのが、19日までもたないかもしれないからもっと早く帰国できないか、と妹から連絡を受けました。 で、慌てて、どたばた12日に日本に到着しました。 そこから、まさか、退院できることになるとは誰も思っていませんでした。 父への感謝プロジェクト開始!ふとした思い付きで、「父への今までの感謝を、文字にして渡さない?」と妹に打診。

日本に帰国中 2020年インフルエンザでお正月を迎えた

2020年新年早々、インフルエンザでダウン・・・・。 12月30日に、妹と一緒に東京丸の内にあるオアゾの丸善でうろついてた時から、くしゃみと鼻水。 その後、だんだんと全身の筋肉がちょっと痛くなってきて、ほぐしてみようかと夜ストレッチしてみるものの、異常ーに硬い。 特に太ももの裏ががちがち。 でも、関節は痛くないから、インフルエンザではなく、単なる風邪だろう、そうであって欲しいと祈りながら床に着く。 大晦日も、全身なんとなく筋肉痛。 熱は37度6分と、高熱まではいか

膵臓癌の「人骨の標本」姿の父が突然退院し、介護スタート!

インフルエンザで幕開けした2020年も、あれよあれよと、26日目。 【2020年の全体運】変化を恐れずに、自然の流れに身を任せて:最初は変化に戸惑うことがあっても、なるべく自然の流れに任せたほうが万事うまく収まります。 参考記事: ふと気づくと、なんだかこんな感じで進んできたことにびっくり。 わたしはいつ、なんで日本に一時帰国したのか思い出してみるとなんだかもうずいぶん長いこと日本にいるような気分ですが、1か月半くらいなのか。 膵臓癌を再発した父と一緒の時間を過ごす