膵臓癌の「人骨の標本」姿の父が突然退院し、介護スタート!
インフルエンザで幕開けした2020年も、あれよあれよと、26日目。
【2020年の全体運】変化を恐れずに、自然の流れに身を任せて:最初は変化に戸惑うことがあっても、なるべく自然の流れに任せたほうが万事うまく収まります。
参考記事:
ふと気づくと、なんだかこんな感じで進んできたことにびっくり。
わたしはいつ、なんで日本に一時帰国したのか思い出してみると
なんだかもうずいぶん長いこと日本にいるような気分ですが、1か月半くらいなのか。
膵臓癌を再発した父と一緒の時間を過ごすべく、12月19日の飛行機を予約してました。
が、10日ごろ、「19日まで頑張れないかもしれない、と父が言っている。
帰国日程を早められない?」と、妹から連絡が入り、なぬー!っと慌てて勤務先に問い合わせ。
「残りの業務はこちらで対応するから、ぜひ少しでも早く帰国してあげてください」と温かい言葉をいただき、12月12日にチケット変更して、バタバタと帰国。
その頃父は、病院に入院し、放射線治療を受けていました。
基本的に、放射線治療は、通院できる体力がある人しか受けられないのだが、父が外科医に無理くり頼んで、入院しながら受けられることになったらしい。
膵臓癌で激痩せの父を表現した母の名コピー
最初、治療に体力を奪われるのか、入院生活のせいなのか、1日中ベッドに横たわっている父に、少し驚きました。
が、すぐ慣れました。
本当に、人間ってすぐに慣れちゃうもんですね。
ほとんどなーんにも食べられないので、点滴で栄養剤を入れているものの、激痩せ。
30キロくらい・・。
帰国してすぐに、母(77歳)が、「パパ、何も食べないから痩せちゃって。
人骨の標本よ、あれじゃあ。」と。
「じ、人骨の標本!!!」
むむー、なんとも素晴らしい表現に、心の中でこっそり舌を巻く。
「キャッチコピー作る人になればよかったのに。」
急遽父が退院することになり、突然介護スタート!
とっても残念ながら、放射線治療はまったく効果がなく、まさかの途中で打ち切りになりました。
それが、クリスマス25日。涙
さすがにがっくりする父と、わたしたち。
ただ、傍から見ていると、放射線治療が効いていたとしても、癌というより、体力低下も心配でした。
さて、ではこの先どうしようか?
退院するか、このまま入院し続けて緩和ケア的な処置をしていくか。
さてさて少しゆっくり落ち着いて考えて・・。
なんて思った矢先、翌日26日に、父が、「1月6日に退院することにした」とメッセージを送ってきた。
なんと!!
27日に、父および家族を担当してくださるケアマネージャーが決まり、うちで打ち合わせ。
ケアマネージャーさんからの提案で、車椅子や、ベッド脇につける柵、トイレまで歩く場合の廊下に設置する手すりや、トイレ内に設置する手すり、などをバタバタとレンタル手配。
なんせ、介護は初体験。
そもそも、何が必要かなんて、全然イメージできず。
さてさて、年末年始はレンタル会社もお休みで、ほんとにギリギリのスケジュール。
その後、妹夫婦が手伝いに来られるのが水曜日ということで、なんとか1月8日に退院予定を延期してもらいました。
が、少し準備に余裕ができるはずが、、まさかの年始にインフルエンザで倒れ・・。苦笑
参考記事:
こうして振り返ってみると、なんだか、すごい感じの2020年ねずみ年の幕開けでした。
しかし、介護って、突然始まるもんですねぇ~~。
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