手仕事から見る民藝の地図 柳宗悦 『手仕事の日本』

(2020年の23冊目)『アウト・オブ・民藝』から柳宗悦への関心が少し高まりつつあったので。

機械は世界のものを共通にしてしまいます。それに残念なことに機械はとかく利得のために用いられるので、出来る品物が粗末になりがちであります。さらに人間が機械に使われてしまうためか、働く人からとかく悦びを奪ってしまいます。(P. 11-12)

のっけからマルクスの疎外論めいた話がでてきて度肝を抜く。こうした手仕事に対するユートピア性や、素朴な自然主義・自然礼賛については松浦弥太郎に対する享楽的な感覚のイタい部分を抽出したかのようだし「ああ、そうか純度の高い松浦弥太郎 = 柳宗悦なのか」みたいなことさえ思う。

熊倉功夫(MIHO MUSIUMの館長)による解説によれば、

民藝運動は、あるがままに民藝を保存してゆく運動ではなく、あるべき姿に純化していく美の運動(P. 282)

だというのだが、無作為な、無個性な、無意識なところから生まれる美、つまりは、カッコつけてないのが、カッコ良い的な状態に民藝という括弧書きで括ってしまうことの苦しさや矛盾みたいなものがある(『アウト・オブ・民藝』の感想にも書いたけれども)。柳がおこなう批判(京都の手仕事は技巧的だが、最近は技巧ばっかり見せつけるようでよくない!とか)が読みどころであったりもするんだけれど。柳自身、自分の美意識・趣味と民藝の概念のあいだで矛盾というか、葛藤みたいなものが発生している箇所もあってそこも面白い。たとえば仙台の埋木細工について「もう一工夫したらと思うのは、私のみでありましょうか」とか言ってみたり。自分がこんな風に言われたら、うるせえ!ってキレちゃうと思う。

そんな風にツッコミながら読むのも面白いのだが、20年以上自身が各地に足を運んで調査した結果できあがった労作だけあって、資料としても、本としても面白い。観光ガイドみたいなものにも近い読み応え、というか。日本がかつては繊維の国であったことに改めて気付かされたりもするし、へー、そんなものがあるんですか、って普通に勉強になる。日光下駄なんか、コレちょっと良いんじゃないの、買ってみようかな、ってちょっと思ったりして。

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