民藝はリアルか? 軸原ヨウスケ 中村裕太 『アウト・オブ・民藝』

『アウト・オブ・民藝』

(2020年の13冊目)Instagramでフォローしている岩手の本屋さんが紹介していて気になっていた本。

自分は松陰神社前のnostos booksで購入した。民藝についてはほんのりした興味があったのだが、そんなに掘り下げることもなく過ごしていた。そういえば柳宗悦の本をなにか読んだ記憶があったが『茶道論集』に触れていたようだ。これはなかなか面白かった。昔の茶人は直観的にモノの美をを掴む能力があった、とか言っていて。

民藝の周辺、民藝との距離

この『アウト・オブ・民藝』も面白いのだが、一言では紹介しにくい本である。民藝的なものに携わるデザイナーと研究者とによる5回に渡る対談イベントの模様を収録した本で「現場」を見ていないとつかめない部分も少しあり、そもそも民藝的なものに対してのある程度の理解がないと、なんの話かよくわからない本だと思う。民藝案内、みたいなものではなく、ただ、民藝の周辺、批判的に民藝運動に関わっていた人たちから民藝を見ていくことによって、より民藝の本質が浮き彫りになったりする部分はあると思われ、そこはとても勉強になったし、面白い。

「民藝」という括弧にくくること

もっとも鋭い批判といえば、要するに民藝運動って田舎にある良いものを東京に持ってきて(本来あった文脈から切り離して)商品/商売にしちゃってるよね(それってどうなのよ?)みたいな話があり、それはわたし自身がいただく『&Premium』や松浦弥太郎的なものへの違和感とも繋がっているように思われる(その違和感は、享楽的なものであって、好きなんだけれど、これを好き、と言ってしまって良いのだろうか? というものである)。民藝としてモノを括弧にくくることによってリアルじゃなくなっちゃうみたいなことってあるように思われ、その問題は土井善晴が「家庭料理は民藝だ」というときにも同じ問題が発生するだろう。

今和次郎

そうした民藝運動に今和次郎が対比的に取り上げられるのだが、民藝が田舎のモノを東京に持ってくるのに対して、今和次郎は田舎のモノをスケッチにして収集していく。それもまたひとつの括弧書きなのかもしれないが、そこでは本来の文脈から切り出されるということはない。こういう話に対して、おー、面白いな、リアルだな、っていう感想をいだく。というわけで、今後少し今和次郎についてリサーチをしていくつもりになってきた。

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