最愛の猫の一周忌に向けて 2

「光陰矢の如し」という言葉もあるほど、時間が経つのは早くてあっという間だ。
あんなに悲しかった別れも、楽しかった思い出たちもいつの間にか「そういえばこんな事があったよな」と1日に1回思い出すかどうかまでの頻度に減ってしまった。
人間は薄情な生き物かもしれない。
でも、その薄情さがあるからこそ今こうして立ち直って生きていられるのかもしれないとも思う。

モカの話をしよう。
モカは我が家に来た時から一通りトイレトレーニングは済んでいる子だった。
だがしかし、いざうちに来てみると誰かの部屋が空いていればこっそり忍び込んで布団でおしっこ、押し入れの布団に忍び込んでおしっこ、猫用のベッドにおしっこ…といった具合に至る所に彼のトイレ(!?)が存在していた。
最初は「あらあら〜」で済ませていた母もあまりに度重なる粗相に疲れ果てて「どうにかしないと一緒に暮らせない…」と言うまでに至った。
それを聞いたわたしは大半なショックを受けて、「モカがいなくなってしまう!」という危機感を持ち当時中国に出張していた父に助けを求める国際電話をかけた記憶がある。
今だからこそ思う。やるべきは国際電話ではなく"モカが粗相をした際の処理を母に任せっぱなしにするのではなく自分や弟と極力してやるべきだった"と。
子どもとは至って短絡的かつ目先のことしか考えていないのだ。
国際電話が功を奏して(?)母の疲れも和らぎ我が家に再び平穏が訪れた。

実はモカは我が家に来る前に一度違う家にトライアルに行っている。
だがトライアルの期間でその家の人に懐かず、かつ粗相がひどいので出戻りになったと言う話も聞いた。
それを聞いた時はなんとも不思議な気持ちだった。
「他の家に馴染めなかった子がこの家を選んでくれたんだ」と子ども心ながらに嬉しかった記憶がある。

人間は傲慢なので「人間が猫を選ぶ」とついつい勘違いしてしまいがちだが実の所は「猫が人間を選んでいる」のかもしれないとここ最近で気づいた。

我が家を選んでくれてありがとうモカ。

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