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◤生き方◢ 「繋がりたいタグ」は人間の本能。[#54]

Twitterでよく見かける、「#〇〇さんと繋がりたい」。所謂「繋がりたいタグ」。

・○○好きな人と繋がりたい。
・△△住みと繋がりたい。
・××ファンと繋がりたい。
入る言葉は無限だ。

わたしがnoteを始めるに際も、「#noteを書いている人と繋がりたい」で検索をかけたことも、Twitterのプロフィール欄に載せていたこともある。
なぜ載せていたのか?
それは、「仲間」が欲しかったから。

***

ひとりは好きだけれど、独りは嫌い。
現代人はこの“”が強い人が多いように思う。
友だちとワイワイするのは楽しい。でも、いつも屯っているのは好きじゃない。(言葉の選択、笑)
だからと言って、孤立や孤独はもっと嫌。

御多分に洩れず、わたしもそのひとり。
独りじゃ生きられないんだけれど、ひとりで生きたいと思っている。
(でも、結婚願望はある、という矛盾)

***

ひとは「独り」を嫌がるもの。
だから「独り」を感じないために「共感」を得たくなる。
そして「共感」を求めるために「仲間」を探して繋がろうとする。

「自分の周り(狭いコミュニティ)の中で『共感』してもらえないもの」が好きな私、って変?

どうにかこうにかして、自分の「存在価値」を見つけようとする。

狭いコミュニティに縛られていては、自分の存在がちっぽけに思えてくる。

世界に流れるネットの海は広い。
その海を泳いでいれば、一人ぐらい共に笑い合える人に出逢えるだろう。
もしかしたら、地球の真反対の小さな村にいるかもしれない。

わたし自身、繋がりたいタグではないけれど、Twitterで同じ趣味の人と出逢うことができた。
最初はオンラインで。そして、オフラインで。
共有した同じ時間は今でも大切な時間。

***

ここまで書いて、「仲間」という単語はなんだか澄ましている感じがして、言うのも書くのもむず痒くなってきた。
でも、何かしら言葉を当てはめようとしたら、やっぱり「仲間」がしっくりきた。
好きなものを、堂々と「好き」と言い合える間柄。
それは「友だち」とはちょっと違う。

1~10まで共有して、笑い合って、喧嘩して、泣いて、みたいな濃ゆい関係ではなくて、
1~10のうち、4だけ「分かる~」と言える。
そんな感じ。(分かりにくいかもな)

***

繋がることで自分の存在価値を認めてあげられる。
それは特別なことではないし、珍しいことでもない。
「繋がりたいタグ」は普遍の真理なのだ。

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